3月4日、一人健在だった二番目の姉、木暮和子が亡くなりました。 姉は、文学や音楽が好きでした。私の興味の半分は姉からの影響です。こっそり姉のレコードを聴いたり本を読んだりもしていました。 一番大きな影響は、宮沢賢治です。姉は兄が送ってくれた宮沢賢治の童話を姉妹の誰よりも感動をもって読んだのだと思います。賢治の童話集や詩集、歌集などを買い求めていました。 私の母校の小学校で教職に就いた姉は、学芸会で宮沢賢治の童話を劇にして児童が演じました。たしか「蛙のゴム靴」だったと思います。地の文を一部分は朗読したり、雲の仮面を被った子供たちが並んで、賢治独特の雲の描写を表現したり、いろいろ工夫をして精いっぱい賢治の楽しさを伝えようとしていたと思います。 就職した時、十字屋版の宮沢賢治全集を買い、それまで集めた賢治の作品の本をすべて私が貰いました。 そのなかの童話集『ポラーノの広場』(創元社文庫 1952)には、それまでの賢治の童話集には入っていない、「土神と狐」や「ポラーノの広場」が入っていました。「土神とキツネ」に描かれる嫉妬のつらさ、悲しみに、心の中のすべてを見つめる賢治の新たな面を知り、賢治が好きになりました。 「ポラーノ広場」は前書きを読んだだけで、きらきらと輝くイーハトーブの風に胸がドキドキしました。そしてそこに描かれる。「ポラーノの広場」という理想、そこへたどり着こうとする少年たち、農民の姿が故郷の農村に生きている友人が重なり、社会を見つめる賢治に圧倒されました。 それから私もお小遣いをはたいて十字屋版賢治全集を買い、何よりも賢治が大切なものとなり、一生を賢治と共にする結果となりました。 私が賢治以外には夢中にならなかったのに対し、姉は何にでも貪欲でした。子供服を作るために始めた洋裁の通信教育では、自分のスーツまで作るようになりました。料理が得意で教室を開きました。長姉と始めた短歌では感受性に満ちた短歌を作り特別会員になりました。 実家の広い家と田畑を継ぐことは大変なことだったと思います。母や子供のためとはいえ教職を辞めたことも悔やんでいたかもしれません。 でも姉はいつも前向き、義兄と海外旅行や登山に挑戦し、ⅭⅮを買い、晩年まで周りにはいつも友人がいっぱいだったようです。 また、私たち姉妹の為にいつも集まれる場所とたくさんのご馳走を用意してくれました。 昨年五月の長姉、八月の三番目の姉、続けて三人すべての姉妹を失うのは流石にはショックです。 でも、神様はうまくして配慮してくれるのか、年齢を重ねた私には涙が出ません。すべてが淡々と過ぎていきます。
我が庭の片隅に、実生のヤブツバキが咲きました。実家の大きな樫の防風林とその内側の小さな垣根の間の片隅にこの花を見つけた驚きを鮮明に思い出します。 でも、その思い出を語り合うことのできる人は誰もいなくなりました。いろいろな風景を思い出すたびに、その事実を突きつけられます。姉妹の別れとはそういうことなのかもしれません。その事実を噛みしめながら、この先を生きていきます。 |