雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2018/06/28 20:00:00|法事と月命日
月命日➀
6月25日(月)
この日は妻と父の月命日。今回は悪い条件が重なり、遣り繰りがかなり難しかった。先ず俺が車の運転が出来なくなった為、月曜の墓参りに誰に行ってもらうか、ということと それに梅雨時で5月の墓参りの時も充分に墓掃除をしていなかったので、草むしりと墓掃除も今回は時間をかけてきっちりやらなければ・・・
でも、その問題は割と簡単にクリアした。今まで子供の治療看病で身動きの取れなかった娘が、最悪な結果となってしまったが、今も精神的には、辛い立場であるのにも拘わらず、月曜日の墓参りをお願いししたら、快く引き受けてくれた。
草むしり墓掃除も23日(土)に長男の手を借り、9時から約1時間かけて、納得いくまで墓掃除が出来た。

24日ははしゃぎ過ぎた所為か、夜、吐き気を催し、食べれない日が続いてるのであまり嘔吐物は出なかったが、今回だけは苦い胃液も少し出た。体力の減退をつくづく感じない訳にはいかなかった。
その後はさっぱりしたが、寝付かれず、深夜のワールドカップ日本対セネガル戦を、TVの傍で映像を観ないで解説を聞くだけの観戦、日本が点を取った時だけ、振返って画面を覗いた。今回の日本チームは常に先制点を許し、結局試合は2-2で引き分けたが、負ける気はしなかった。
試合が終わっても2階のベッドに行かず、炬燵の傍で横になっていたが、4時過ぎてカーテン越しの窓の外がしろんできても、6時過ぎても、8時になっても、眠れなかった。朝食の時間になっても、パンの1切れも、ヤクルトも飲めなかった。
でも今日月曜は母が風呂に入る日なので、ヘルパーさんが来るまでに、風呂の用意だけはしたが、9時過ぎにヤクルト小母さん(ペルー人の可愛いお母さん)がチャイムを鳴らすのにさえ応じられず、昼前に再度の訪問を余儀なくさせてしまった。

それと先日出した来年からの年賀状お断りのハガキが1通「あて所に尋ね当たりません」とスタンプを押されて送り返されてきた。千葉のNAR君宛に出したものだが、書き直す気力もなく、電話で詫びると「気にしなさんな」と温かい言葉で返してくれた。
昨日、26日に栃木に来た仲田の厚意で、NAR=鳴本にハガキの文面をメール添付してくれたらしいと、報告を受ける。ありがとう、友よ。
それにしても2日前の事を思い出しながら書くのに、中々順番通りに思い浮かばず、こんなに時間が架るなんて、頭の方もだいぶ病んできたようだ。

そうこうしているうちに、玄関に娘の声が聞こえた。墓参りを頼んだ事をすっかり忘れていた。娘の顔から額から汗が噴き出していた。暑い中を一人で墓に行ってくれてありがとう。



 







2018/06/27 18:40:04|
植木屋さん
今日は植木屋さんが来て庭の手入れをしてくれた。お陰で窓からの眺めは良くなったが、
躰の方は調子が悪いわけではなかったが一日中寝っぱなしになってしまった。
2日前に2回便通があり、その分気分は良くなったが、まだ出切った気分になれず。
その所為もあってか、不快感がぬぐえず、だらけた時間を過ごすことになった。
書きたかった25日の月命日のブログがまったく手につかなかった。







2018/06/26 19:11:03|モンブランと稲門会
TAT君NAK君MEMEちゃん 来訪
6月26日(火)
先週モンブランの仲間から26日か来月1〜8日の間に訪問したいと連絡があった。
今日の仲間の略名と敬称は 略させて書かせてもらう。電話が有ったの立山からだった。
去年11月に仲田と一緒に栃木に来てくれ、あの日はその足で那須の別荘に行ったっけ。
大学3年の時立山はモンブランスキー同好会の幹事長、仲田はスキー指導部指導部長だった。
目目ちゃんは奥さん。モンブラン出身者では2年先輩の多勢康弘先輩と立山良司のお二人が
著名人になり、お二人ともモンブランの仲間同志の結婚なのも不思議な縁だ。

昨日は最悪な一日で一日中起きあがれず横になりっぱなしだった。11時に今日の為、無理に
睡眠導入剤を飲み、2階のベッドに潜り込んだが暫く眠れなかった。でも朝起きたらスッキリ
した寝覚ではなかったが、大分気分は良くなっていた。出ないながらも便意も催してきた。
是なら今日は気分よく逢えると確信。1時半に彼らは遣って来た。目目ちゃんと合うのは
浅草のどぜう飯田屋(店の名は不正確)以来じゃないと、彼女の方から応えてくれた。
耳が聞こえず只そこに居るだけのお袋には何時も済まないが、俺には愉しい1時間だった。
彼等は約束通り飲み物持参で遣って来てくれた。こんなに気持ち良く、心落ち着けた時間を過ごせ、玄関まで歩いて送り出せた。    ありがとう!  ともよ!







2018/06/24 23:48:00|病身になって
一番輝いた一日 (ワールドカップ第2戦 もしかして勝てるかも)
今日の為に、体調の不安が増し、昨夜は少し緊張が高まっていた。その所為か11時近くに突然吐いてしまった。あまりに突然だったのでかなり焦ったが、気分はそれ以上悪くはならず、暫くすると何とか落ち着いてきたのでほっとした。でもこんな状態では今夜は睡眠導入剤は飲むとヤバイと決めつけた。しかしながらもし寝付かれなかったら、さっき吐いたこともあり、もっと悪い状態に陥るかもしれない不安がよぎった。。。エエイままよ! と飲む事を決断! 不安は尽きなかったが、何とかこれで眠れると思い込ませた。知らぬ間に・・・寝付いたようだ。 目覚めたのは8時半だった。


今月初めから今日24日に栃木訪問を約束していたHONさんと先輩達。しかも先日突然にARAさんから 「いつでもいいからあなたの家で、私のギターを聞いて欲しい」とありがたいお言葉を頂いていた。
俺一人で聴くなんてもったいないし、かといって個人の家で人を招くにはスペースの問題もあるしと悩んでいたが、そうだ24日なら最低HONさん達4人が来訪、その日が良いと即断し、午後から来てもらう事をARAさんに申し込んで了解を得た。後は何人かに24日午後に遊びに来て欲しいと頼むだけ。但しスペースの問題が頭をよぎリ員数の限定に困り果てた。
呼びたい人は沢山いた。ブログにても呼び掛け、結局演奏者を含め18人が来てくれた。幸いが重なり、昨日妹が来てくれたので、会場の準備は彼女一人に任せた。
呼べなかった人に申し訳ないので、参加者の名は伏せるが、とにかくARAさんの生ギターと唄と伴奏をお手伝いしていただいたOOHに1時間半近く演奏と伴奏をお願いし、参加していただいた全員に愉しんでもらえたと皆さんの笑顔から確信できた。
ほんと誰もが笑顔で、ここで生ギターが聴けて良かったと喜んでもらえた。集まった皆さんにありがとう!の言葉を添えて  感謝したい!    
そして惜しみなく何曲も弾いていただいたARAさんにも・・・!!!



こんな気分に浸っていると 今夜のワールドカップ第2戦も・・もしかして勝てるかも・・







2018/06/23 23:59:00|病身になって
ケジメ
一昨日、息子に印刷を頼み、終活の一環として、自分なりに現況に対する一つのケジメを付けました。それは、中元歳暮の送付及び受取のお断りと、来年から年賀状を取止めるハガキの送付です。一方的で失礼な事かとは思いますが、今なら出来る人生のケジメと感じたからです。早速、昨日今日と思わぬ処から反応があり、それは当然の事で、有難い反応でした。

今日は天気予報が当たり、朝から曇り空。約束通り9時過ぎに、息子が迎えに来た。来週月曜日が25日の月命日で、運転を止められてる身にとって、25日の墓参りは如何しようかと迷っていた。でも幸に娘がその役を引き受けてくれ、一難去ったが、先月も休んだ墓掃除は今の彼女には一緒には頼めない。と悩んでいたら、長男が土曜休日で墓掃除を引受てくれた。俺も体調が良かったので一緒に墓掃除に行く事にした。
共同墓地で久々に竹馬の友HIDちゃんに逢えた。順調に墓の内外の草むしりが進み、40分でお墓の備品の掃除も済んだ。
家に帰るや否や息子はジャガイモ掘があるからと直ちに結城に帰って行った。

入れ代わりに見知らぬ人影が門前にチラつく。やっと思い出した。何年振りだろうか、高校時代の親友、直ちゃんだった。昨日送り届けたハガキに、いの一番に反応した直ちゃんだった。3年前に白馬岳の雪渓で携帯電話を紛失しその為携帯電話番号が判らなくなり、年賀状だけの遣り取りになっていた。今朝埼玉の入間からすっ飛んで来た直ちゃんだった。
「あんなに行動的だったお前が病身になるなんて信じられないよ」と 懐かしい訛り口調。ありがとう! 友よ! 長居はお前の躰に悪いからと直に帰って行った友よ! ありがとう!

9時にクール宅急便でヨーグルトが届く。12時前に弟が来、午後2時前にHONさんが来た。
明日、宇都宮の3人の先輩を我が家に連れてくる段取(蔵の街の食事処)の確認の為だった。
横山歴史観とその駐車場、巴波川の川遊と乗船場、太平山のアジサイの行程確認だった。

雨の中を3時に帰宅、朝から行動が重なりさすがに疲れた。弟がパソコンと格闘していた。
頼んでいたウイルスチェック、ノートンのセキュリティチェックを丹念に調べてくれた。
4時間に渡る格闘でノートンのウイルス機能チェックを完全に回復してくれた。

夜7時半に妹も来てくれた。2週間振りに親子4人で囲む食卓は、自分だけがたとえ食べられずとも、親子水入らずでとても楽しいひとときだった。