雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2017/09/08 11:16:00|家族
母の付添い             9月7日
久し振りに母の付添いでTMCとちのき病院の整形外科へ
担当の松岡先生は弟と同級でいつも穏やかなドクター。

問診だけで次回の検診は3ヶ月後にしましょうと云われた。
母はまだまだ長生きできると保証されたようなもの。
10時5分前に受付けして10時25分に終了。薬も湿布薬だけ
だったので、薬局も待たずに薬を受け取れた。

母からいつものようにドライブのリクエスト。まず、観光
ボランティアルームに寄ると、9月の定例会の案内が封筒に
入ってた。9月7日まさに今日だった。銀座通りのイシハラ
が取り壊され、平屋の建物が出来ていた。珈琲ショップが
できるらしい。裏の駐車場も取り壊され新しい建物が出来
つつある。何ができる事やら?、昨今は情報が届かない。

お昼には時間が中途半端なので、栃木インターを通り越し
吹上町に入る。母に吹上城址の吹上中学校を見せ、吹上藩
廃藩置県で吹上県になったことを説明。田舎の高々5千石
の小大名が栃木、小山を出し抜き県になった事に驚いてた。
次にさしもぐさと赤津川の西にある伊吹山を案内。標茅原
(しめじがはら)
は巴波川の源流で伊吹山の東に位置する。
標茅原と室の八嶋は「歌枕」として万葉人の憧れの地。
清少納言や和泉式部の和歌に謳われてた伊吹山のさしもぐさ
は、関西でなく下野の話と下野風土記に書かれていることを
説明。ただし数百年後の史実としての信憑性は・・・? 
また明治23年に国会が開設の折は、栃木県から5人の国会議
員が選ばれたが、なんとこの吹上町から塩田奥造新井省吾
の2人が選ばれ、しかもお隣同士だったのも驚き。5人の中の
もう一人は言わずと知れた田中正造。当時は婦人参政権もな
く、高額納税者のみしか選挙権がない為、吹上が如何に裕福
なところだったかを物語っているようだ。
母も吹上の地が、かような地とは知らずに ビックリ!

お昼はお決まりの丸亀製麺で安上り。
      







2017/09/06 11:52:00|太陽の陽子と和さん
今日は何の日?           9月5日
      朝長男から、そして長女からもメールが届く。午後には妹からも。
      夕方買物から帰ると思い掛けなく3男が居間で母と話をしていた。
      まさにビッグサプライズ! 卒業した小山の専門学校に、講師として
      訪問した帰り道に、突然寄ってくれたのだった。
      3男を小山駅迄送った後、10時過ぎには2男も勝手口から顔を出した。
      「誕生日おめでとう!お祝いに冷蔵庫のビール貰っていくからね」
      おいおい!言葉だけで何も持ってこないのに、話が違うんじゃないの
      ・・・    まあ顔を出してくれたんだから良しとするか・・・

      午後には闘病中の陽子さんから絵手紙が届いた。こんなに爽やかな
      絵手紙が認められるのだから、あと少しで回復間違いなし!!!

      朝9時に前橋歯科で前々回に入れた入歯とお口の定期検診。次回は12月。
      午後は世話になった足銀のITO君が訪れ、定期と投信の買増し追加契約。

      夕方5時前に独協大学病院から明日の入院についてブラック☎が入る。
      「明日の入院は病室のベッドが空かない為延期になります」だって。
      個室は空いているらしいけれど差額ベッド代を考えると、年金生活者
      にとってはまあ我慢して空くのを待つしかない。しょうがないか・・・







2017/09/05 18:19:00|モンブランと稲門会
第一法学部熱海同窓会B
今朝はISI君とKIT君が所用で9時に別れ、残り4人で昨日の名所探訪の続きを開始。
先ずMOA美術館に向うが、開館は9:30から。その前に関八州総鎮護・伊豆山神社に赴く。

伊豆山神社は、静岡県熱海市伊豆山上野地、JR熱海駅の北東約1.5kmにある神社。全国
各地に点在する伊豆山神社や伊豆神社、走湯神社などの起源となった事実上の総本社格。

神社から837段の階段の下には走り湯神社があり、其処まで歩くのはきついので車で下る。
相模の海に臨む「走り湯」は、日本でも珍しい横穴式源泉で日本三大古泉の一つ。1300年
前に発見され、山中から湧き出す湯が海岸に飛ぶように走り落ちる様から 「走り湯」と名
付けられた。 「伊豆の国山の南に出づる湯の早きは神のしるしなりけり」と源実朝が詠ん
だように、 明治以前は伊豆山神社の神湯として信仰されていた。奥行5mの洞窟から今も
70度の湯が一日7,000トンも湧き出ており、源泉は神秘的な光景が広がる。

MOA美術館は2度目だが、やはり素晴らしかった。今回は直接車で本館まで上がった。
紅梅白梅図は時期的に鑑賞不可。でも中国の唐以前の陶磁器が印象的で時間を忘れる程。
下のエントランスからエスカレーターで上る空間が爽快だった記憶があり、もう一度、
その感覚を味わいたくて、友に下まで車を回して貰った。

駅ビルの中で昼食を取り、友と別れ、上野東京ラインで戸塚まで千葉のSIM君とご一緒。
でもJR管内で人身事故があり、列車が東京駅から先に進めなくなるとの連絡あり。
12:31熱海発、16:12栃木着の予定が狂い、戸塚で13:39発の湘南新宿ラインに乗換し、
再度大宮で15:39発の小金井行に乗換。15:20蓮田駅で立ち往生するも10分後に発車し、
小山駅に16:15着。16:45初の両毛線で16:57栃木着。予定より45分遅れになった。
これも旅の醍醐味。列車の悠々旅を久々に満喫できた。

今回の熱海を企画してくれたNIS君はいうまでもなく、参加してくれた仲間に感謝!







2017/09/05 16:45:00|モンブランと稲門会
第一法学部熱海同窓会A 
「まだ、時間があるから何処か行こうか」とNIS君の言葉に、MYO君が少しへたり気味。
彼は20年程前に大病を患っていた。元々行動派の彼ながら病に勝てても年には勝てずか?
今回も俺の病気を心配して、1月に続き、5人の第一法学部の悪友連が企画してくれたも
のだが、俺の元気さが以外だったようで、安心して貰えたようだ。

熱海の名所探訪を諦め宿に戻ると、KIT君も既に投宿していた。部屋は洋室と和室が2間、
5階のテラスからは熱海の海が、遠くに初島、眼下に白波のビーチが彩られていた。

このホテルの経営は熱海稲門会の仲間で、40代の若き経営舎だった。
7,8年前に熱海に来た時は、大分寂れた風情の商店街だったが、今回は駅前の観光客も
多く、昼の食堂はどこも行列で混んでいた。熱海の賑わいが少し蘇って来たのだろうか。

風呂から出て、てんでに冷蔵庫から酒とビールを取り出し、近況報告をチビリチビリ・・・
話はどうしても健康の問題が中心になる。     「お前は酒飲んでもいいのか?」
「医師から少しならOKの許可得たよ。冷たい飲み物が飲めることがとても嬉しいよ」

8時過ぎ病身の2人を残し4人は街に繰り出した。NIS君の馴染みの店に行ったのだろうか

写真の悪友の古希の顔を見比べてつくづく思う・・・思えば遠くへきたもんだ・・・







2017/09/04 23:45:00|モンブランと稲門会
第一法学部熱海同窓会@       9月3日

8:31栃木JR発両毛線で小山へ。9:16発上野東京ラインで直通で熱海着12:15。
電車を降りようとしたら千葉のSIM君が同じ車両に乗っていたことをしる。駅の改札で四日市のISI君が待っていた。ISI君と駅前の蕎麦屋で昼食を取り熱海聚楽ホテル月の栖に向かうと、地元のNIS君、浜松のMYO君とSIM君がロビーで待ち受けていた。
もう一人の参加者小松のKIT君は所用の為3時過ぎに合流予定。  本日はPM6:30に集合開宴の予定だったが、折角集まるのだから日中熱海の街を散策するもよし、ゆっくりダベリングでもよし との提案が通り、元小学校校長で熱海稲門会の会長としても地元に顔の廣いNIS君の案内で、知られざる名所の案内をお願いした。

先ず案内されたのが双柿舎(そうししゃ)。双柿舎は、坪内逍遥が1920年(大正9年)から死去する1935年(昭和10年)までの、晩年を過ごした静岡県熱海市水口町にある建築物で、庭にカキの木が2本あったことから、早稲田大学での同僚である会津八一により「双柿舎」と命名された。逍遥の没後は早大に寄贈され、現在も大学の管理下にある。現在日曜日のみ開園、駐車場が無いのが難点。入園無料で無料ガイド在り。

続いて坂道を少し歩き臨済宗妙心寺派の海蔵寺へ。ここには坪内逍遥のお墓がある。

次に熱海の三大別荘と称される起雲閣へ。海の見える別荘として1919年(大正8年)に建築。実業家根津嘉一郎、農商相・内田信也の別邸であり、所有者が変わった後には旅館として営業していたが、2000年(平成12年)からは熱海市所有の観光施設となる。

まだ時間に余裕があったので、続いて来宮神社へ。駐車場がとても混んでいて驚き。大楠のパワースポット他、若い人にも人気になっているようだ。