雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2016/02/27 19:44:57|法事と月命日
義母七七忌法要           2月27日
11:00から円満寺にて義母の五七忌、七七忌の法要があり、墓参の後
割烹たる池にて会食。27年振りに境内で義母義兄が寄贈した観音像と
ご対面。子供達は誰もその存在を知らなかったようだ。3男の達と末
孫の綾香は今回参加出来なかったが、我が家の3世代13人が集まった。
読経の際は孫の避難で其々大変だったらしい。幼稚園や保育所の件で
娘は小山の従兄弟と良い話合が出来て有意義だったようだ。爺は爺で
息子から新品のデジカメを受け取り、また山花孫の写真活動ができる。







2016/02/26 21:35:00|ギター
新しいトリオで訪問演奏会      2月26日
はとバスツアー中止で、急遽訪問演奏会に参加できることになった。
でもそれにしても自棄に はとバスツアーの中止 が多いのは問題だ。
次回担当予定の3月2日も中止の連絡が入った。

午後2時から佐野市吉水の リハビリDSどまんなか でギター合唱演奏会。
新しいトリオと云っても、昨年末に一度演奏の舞台に立ったことがあった。
2日前の2時間の練習だけで「かあさんの歌」「早春賦」「花」「瀬戸の花嫁」
「蜜柑の花咲く丘」「瀬戸の花嫁」「花言葉の唄」「りんごの唄」「2人は若い」
「高原列車は行く」「寒い朝」「365日の紙風船」「星に祈りを」「ろくでなし」
「コーヒールンバ」「ふるさと」以上16曲を約1時間で演奏。聴いた事の無い
曲も2曲あったが、メーンボーカルのSAR女子とOOK君が弾き語りし、小生
はコード伴奏でお茶を濁した。
     
今夜は重ねてOOK邸で19:00からギター演奏練習。 







2016/02/25 19:15:00|法事と月命日
雪景色の月命日           2月25日
昨夜、ギターの練習帰りには霙になっていたが、今朝は窓の外は雪景色。
1昨日Yベニマルで買求めた超ディスカウント切花3束(1束150円)を持ち
川連の共同墓地に9時に向かう。母も気分転換に出かける用意をしてたが、
寒さが堪えるのか急に取止めた。お墓に向かう車内の温度計は2℃を示し
ていた。今日は10時半にヘルパーのAYUさんが見える日なので、お墓に
花を供え、お線香をあげると、急いで帰宅。

昨日、個人ナンバーカードの処理が終わり、一つ 心のもやもやが消え
た。もう一つの蟠り、デジカメの充電器の紛失についても、息子が新し
いデジカメ購入の手配をしてくれ、近日中に持ってきてくれる手筈。
これでやっと気になっていた 2つのもやもや が吹っ切れた。

午後はいつものように娘と孫がやってきた。入院中の乳幼児の孫も既に
生後半年になる。早く体力がつけば手術や施療の進展があるのだろうが、
思うように体重も増えず入院し続けている。此処までとこれからの家族
の大変さが思いやられるが、でも娘が決して弱音を吐かず、子を思う親
の心で接してくれているのが、心強い。
婿殿の協力も素晴らしい。勿論爺も最善の協力はさせて貰う積りだ。







2016/02/25 0:00:38|ギター
ギターのダブル練習         2月24日
4時40分に休刊日のくららに向かう。夢うた21のSARさんに頼まれ昨夜
鍵を借り受けていた。正門の扉を開錠中に、OOKさんが見え、会議室に
一緒に入る。少し遅れてSARさんも現れ17:00から約2時間簡単な練習。

その後19:00から第6コミュニティで栃ノ木ギター合奏団の定期練習。
通常は木曜日が練習日だが、会場の都合で、明日木曜日が使えないの
で一日前の本日に変更になった次第。
こちらはコンサートも1ヶ月を切り、個人的には日頃の練習不足も祟り
大分忙しない。







2016/02/24 16:38:00|
個人ナンバーカード
2月9日のブログにも書いたが、肝心なことが忘れやすくなって困っている。
あの時、大事な書類の仕舞い忘れと書いたが、実は個人ナンバーのの通知
カードの事だった。2週間前に、個人番号カード交付通知書は届いていたが
通知カード紛失の為市役所に行くのを躊躇っていた。
でも無い場合は、窓口で紛失届を記入で可と知り、今朝母を伴って、栃木
市役所市民生活課にカードを受取りに行った。案ずるよりも産むが易し。
速やかに手続きが済んで待つこと10分、簡単にカードが受け取れた。

待ち時間の間に母を4階の歌麿の雪・月・花を見せに連れて行った。簡単に
歌麿の作品と栃木市との関係を説明しすると、絵も含めて、凄いね、と喜ん
でくれた。
ついでに蔵の街大通りが見える窓際まで案内し、遠くに霞んで見える筑波山と
加波山、眼下の通りに面した下野新聞社栃木支局の解説を加えた。明治12年、
田中正造は栃木新聞(現下野新聞)が創刊されると編集長になり自由民権運動に
参加。翌年県会議員になり、国会開設請願に遁走、明治23年、第1回衆議院議
員総選挙に栃木3区から出馬し初当選。明治34年議員を辞職、明治天皇に足尾
鉱毒事件について直訴。(2013年、山本太郎議員の園遊会直訴とは大違い)
2年前天皇皇后両陛下が正造と足尾を辿り県内を一泊旅行した際、佐野の正造
記念館で直訴状に目を通された。その様子を館長がTVで、正造翁は、明治天皇
の曾孫である平成天皇が直訴状を読んでくれ、さぞかし喜んでいるだろうと語
っていたことが、とても印象的だった。通りの かな半旅館 には正造直筆の
宿帳がいくつも残っており、それらは現在宇都宮の県立博物館に保存中。

耳の遠い母ながら、市役所に連れてきてもらって、とても有意義だったと喜ん
でくれた。こうなると親孝行と親切の大押売。役所の用が済むと1階に降りて
東武デパート食品売場を散策。
さぞや疲れたろうかと思いきや、帰宅前にカインズホームに寄ってと指定され、
大平のベイシアモールで草花の選定。結局1ケース16鉢入のパンジーとビオラ
を2ケース32鉢お買上。大満足の母にお昼を進めるともっと花が見たいと所望。

いわふねフルーツパークで更に野菜の買物と軽い食事をし、近くのビニールハ
ウス岩船園で、咲き始めた数千株の雪割草をたっぷり堪能し、思いがけない程
素晴らしい一日だったと極めてご機嫌だった。