ジーコジャパンとしての祭りは、終了しましたね。 落胆した方が多かったでしょうか。 ワールドカップ2006が、日本全体に与えた影響は絶大なものがあったでしょう。 あなたは、悲嘆に暮れるタイプでしょうか。 あるいは、余韻を楽しむタイプでしょうか。
どちらでもない方が多いだろうと思いますが、私は取り敢えず気分転換に野草の鉢植えを眺めています。 上段の画像は、庭に放置されていたものを、今年になって移植したイースターカクタスです。
中段の画像は、葉?がぶつかり合う部分があったので、切り取って昨日さし芽したものです。時期が良いのかどうか知りませんので、今後の成長が心配です。
下段の画像は、おまけですが、昨日、庭の紫陽花を撮影しました。
草について聖書が記述しているのは、富を持つ人に例えられることが多いですね。 中近東地方を舞台に語られたからなのでしょうか。雨季の後に、一斉に植物が育ちますが、日照りが続いて枯れていく草原の情景が一般的だったのでしょう。今でも、そうした荒地が多いそうです。 それに、なぜか分かりませんが、「草の根」と言う表現が聖書には出てきませんね。「根」単独で用いたり、「○○の根」と言う用い方で用いられていることが多いと思います。 日本人の感覚と少し違うかな。
富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くからです。 太陽が熱風を伴って上って来ると、草を枯らしてしまいます。すると、その花は落ち、美しい姿は滅びます。同じように、富んでいる人も、働きの最中に消えて行くのです。 ヤコブが書いた手紙1章10〜11節 |