オシム・ジャパンが来週にも誕生しそうな状況をマスコミが伝えています。 確かにそうでしょうが、視点・論点をすり換えて、「4年後はバラ色」の期待を読者に与え、「楽しいから行ってみよう」と誘っているように思われて仕方ない。そして「そんなの当たり前だよ」「それでいいじゃん」とおっしゃる方がおられるかも知れない。 でも私は、はなはだ寂しい。
「オシム・ジャパンに期待できない」とは思いませんし、「日本のサッカーは所詮あんなもの」と談じる(断じる)つもりもありません。そして、何か難しいことを言いたいわけでもありません。 私は、ワールドカップサッカー2006の展示会場をもう少しゆっくり歩いて、自分に益になるものを拾い集めたいと感じましたので、ゆっくり歩く人を探しています。お付き合いください。
先に「悔しさを抱えて戻った選手達」というタイトルの記事をだしました。(たくさんの方が立ち寄ってくださったようでうれしかったすが)それは、私たち自身が、「悔しい」「苦しい」「絶望」などを感じるとき、それらをどのように克服するかを学んでおくことが、現代社会の諸問題に対する、個人的レベルでの解決の糸口になると思うからなのです。
今は、キリスト教信仰をしっかりと持つことさえ、簡単ではない時代ですから。
終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。 テモテへの手紙第U 3章1節 |