いらっしゃいませ。ここは、聖書を真面目に勉強したい人たちの交流の場です。 まだ、よちよち歩きですがよろしくお願いします。管理者
 
2006/06/29 12:05:19|その他
上川徹主審残った
 上川徹主審と広嶋禎数副審は、W杯ドイツ大会準々決勝に進出した。(^ワ^) だけど控え審判なんだって。残念だけど、日本人としては歴史上初めての出来事ですよね。すごいよ(^o^)。

 上川さんに続く人がどんどん現われてくれることを期待してます。







2006/06/28 23:57:51|その他
新生ジャパンを喜んでいいですか
 オシム・ジャパンが来週にも誕生しそうな状況をマスコミが伝えています。
 確かにそうでしょうが、視点・論点をすり換えて、「4年後はバラ色」の期待を読者に与え、「楽しいから行ってみよう」と誘っているように思われて仕方ない。そして「そんなの当たり前だよ」「それでいいじゃん」とおっしゃる方がおられるかも知れない。
 でも私は、はなはだ寂しい。

 「オシム・ジャパンに期待できない」とは思いませんし、「日本のサッカーは所詮あんなもの」と談じる(断じる)つもりもありません。そして、何か難しいことを言いたいわけでもありません。
 私は、ワールドカップサッカー2006の展示会場をもう少しゆっくり歩いて、自分に益になるものを拾い集めたいと感じましたので、ゆっくり歩く人を探しています。お付き合いください。

 先に「悔しさを抱えて戻った選手達」というタイトルの記事をだしました。(たくさんの方が立ち寄ってくださったようでうれしかったすが)それは、私たち自身が、「悔しい」「苦しい」「絶望」などを感じるとき、それらをどのように克服するかを学んでおくことが、現代社会の諸問題に対する、個人的レベルでの解決の糸口になると思うからなのです。

 今は、キリスト教信仰をしっかりと持つことさえ、簡単ではない時代ですから。

 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。
                          テモテへの手紙第U 3章1節







2006/06/26 21:58:54|聖書
行動で語る言葉「神の人に対する愛」
 イエスが十字架に架けられたのは、西洋絵画や西洋史の一部として、どこかで聞かれた事があるのではないかと思います。次の聖書の記事は、行動の部分です。

 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
                             ルカが書いた福音書 23章33〜34節


 少し、補足が必要でしょうか。この時、十字架刑を受けたのは3人です。中央でイエスが、犯罪人の一人が右側で、もう一人の犯罪人が左側で十字架刑を受けたのです。その十字架刑の苦しみの最中に「父よ。・・・」と祈ったのです。
 彼らとは、誰だとおもいますか。聖書を読んでいくと分かりますが、イエスの人気ぶりを妬んだ当時の宗教家達、イエスを裁いたローマの支配者達、遠巻きに眺めていた弟子達や群衆などの人達で、聖書が「神」とか「主」と記述している方の支配から離れ、自分の判断や習慣などに支配されている人々の全てを指しています。「父」とは説明が難しいですが「神」であり、「主」であり、全能の創造者の事です。

 次の聖書を見ましょう。上の記事が「行動」なら、下の記事は弟子達が気付いた「言葉」です。

 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
                          ヨハネが書いた手紙T 4章9〜10節


 また、難しいでしょうか。誤解されるのを覚悟で、平べったく記述しましょう。
 イエスの十字架とその祈りは、神の存在も性質も性格も・・知らず、分からなくなっている人間を赦し、神ご自身の支配の中へ招いておられる「愛の言葉」だとヨハネは言うのです。
 神の支配の国 ⇒ 神の国 ⇒ 天の国 ⇒ 天国







2006/06/26 10:34:40|その他
悔しさを抱えて戻った選手達(一部訂正)
 日本代表の選手達が帰国して、報道陣に感想を述べ始めています。少しばかり追っかけて見たい。

 駒野友一選手 24歳
「オーストラリアにしても、ブラジルにしても決めるところで決めてくる。玉際の厳しさを感じた」
「自分で感じたことは言葉では伝えられないので練習で伝える」「これからも頑張らねば」
 特に「言葉では伝えられないので練習(行動)伝える」と言うあたりは、若さあふれる感想でうれしい。

 中澤佑二選手 28歳
「振り返るには、まだ時間がかかる。W杯というもの、そして負けた試合と正面から向き合う強い気持ちを持たないといけない」。
 受けた衝撃の深さを感じさせます。

 巻 誠一郎選手 25歳
「世界には走れないチームはない」
「(オシム監督は)実績もあり世界のサッカーを知っている監督。こういう話(新代表監督候補)があっても不思議じゃない」
 オシム監督の申し子らしい。

 中村俊輔選手 28歳
「課題の残る大会だった」
ブラジルについては、「1枚も2枚も上だった」
完敗を素直に認め、世界の高さをあらためて痛感していた。

 他の選手達の感想は、まだ見つかりません。私は、上の三人の中で最も共感を覚えたのは、駒野選手の「練習で伝える」というコメントにあります。批評ではなく、「行動を言葉の代わりにする」という宣言です。

 実は、聖書の中にも共通した表現があるのです。長くなるので次の独立した項目で取り上げて見ます。







2006/06/25 23:41:27|その他
明日のために今を
 昨日のことを忘れてはならないが、今日という日を大切にせねばなるまい。ご存知のとおり、日本のサッカー界も準備していて、サッカー日本代表を指導する新監督を決めようとしている。

 日本サッカー協会の川渕三郎会長が24日(土)に記者会見して、現在、J1千葉監督をしている「イビチャ・オシム氏」(65歳)について「弱かった千葉をあれだけ魅力あるチームにした監督の力を評価した」といい、田淵孝三技術委員長が交渉していることを明らかにした。ようです。
                                   ヨミウリオンライン

 真相は、まだ合意がないので言うべきでないことをうっかり洩らしたという、川渕会長の発言ミスらしいです。
それにしても有能な指導者によって、2010年のワールドカップには良い成績を収め、崩れかかっているかもしれない日本サッカーの人気を、更に高めようとしていると思います。

 さて、「私の明日の人生」はどうなるのだろう。聖書が指し示す人生はどのようなものだろう。

 いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい。
 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
                          テサロニケ人への手紙5章16〜18節


 すごいことが書いてありますね。上に記述した聖書の文章は、チョット実現不可能のように感じますよね。1勝もできずに敗退した日本代表を見た直後に、「すべての事について、感謝しなさい。」と言われても、悔しく、残念で、誰に感謝すればよいのかとヤケを起こしそうです。
 でも、ヒントが隠されているように思います。それは、「キリスト・イエスにあって神が・・」という言葉です。それは
 第1ヒント:「キリストイエスにあって」です。
       「信仰の領域にまで挑戦して可能性がある」のでしょう。
 第2ヒント:「神が・・」の言葉も大切でしょう。
       「神と私の関係を見直す必要」を示唆しているでしょう。
 安っぽく言うなら、「キリスト教信仰によって到達可能な領域だ」ということになりそうです。「サッカー敗北」だけでなく、「受験敗北」、「経営失敗」、「恋愛失敗」、「交通事故」その他何でも超越できる可能性がありそうです。