いらっしゃいませ。ここは、聖書を真面目に勉強したい人たちの交流の場です。 まだ、よちよち歩きですがよろしくお願いします。管理者
 
2006/07/28 10:45:41|その他
大量入れ替えという新手法
 有能選手の過労予防をどのように管理すれば良いか、難しい問題だと、昨日の文中で述べましたが、どうも「考え方が甘い」と言われそうですね。それは。

 選手の理想像のタイトルで取り上げた、選手選考評価項目をじっくり考えて見ると、「大量入れ替え」という思想で乗り切る事が可能だと考えられるからです。

 (1)メンタルコンディション
 (2)フィジカルコンディション
 (3)技術
 (4)戦術理解度

 4項目を明確にしたからには、プロの選手なら、(1)と(2)の、コンディション維持の必要性は十分理解できるはずだから、各々の選手が自分の判断でコンディション作りに努めなさい。(3)と(4)は合宿で一緒にやっていきましょう。と言うメッセージですね。

 「合宿練習時の動きを見れば、コンディションが良いか悪いかすぐにわかります。コンディションの悪い選手は、合宿から去っていただきます。」という無言のメッセージが、「大量入れ替え」という思想の中に含まれていますよ。
 更に、自分のコンディションが悪いと思う場合は、指名された時点で辞退しなさい。というメッセージも含んでいますね。キビシイ。
 
 日本を代表するということは、プロらしいキビシイ自己管理も要求の中に含まれている、ということですか。ムム







2006/07/27 23:25:08|その他
中沢祐二選手が難題提出(訂正)
 横浜MのDF中沢佑二選手(28)が、代表引退の意向を日本サッカー協会の田嶋幸三技術委員長(48)に伝えた。

 中沢選手は、横浜Mでリーグ戦、アジアチャンピオンズリーグ、ナビスコ杯、等々の試合に出場。日本代表でW杯予選や親善試合に出場し続け、1年間で計48試合を消化していた。

 結果として、両足首、両ひざの痛みなど満身創痍の状態でワールドカップを戦ったようだ。更に、J1リーグ19日の清水戦で、右でん部肉離れを起こし現在リーグ戦を欠場中。

 有能選手の過労予防をどのように管理するのか、本人からの報告待ちでは心細いが、良い方法があるのだろうか。

 豊富な運動量を要求するオシム監督にとっては、古くて新しい難題になるような気がします。


 私が思い出した聖書の文章は中沢選手とかけ離れていますが、次の2箇所です。

 イスラエル民族がエジプトに寄留していた頃の悩みと痛み。
 主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。
                  出エジプト記 3章7節


 聖書学者たちが「イエスが(十字架で)苦しまれることを預言した部分です。」と言っている文章の一部分。
  彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
                  イザヤの預言 53章11節


 中沢選手の肉体の痛みは、激しい痛みだったろうと思います。しかし、ドイツで戦っていた時、抵抗しきれない実力の差を感じつつ、ゴールを繰り返し許さざるを得なかった感覚は、悔しさや苦しさを通り越して、虚ろにさえ感じたのではなかろうか。中沢選手の闘争心さえ吹き飛ばされてしまったのではなかろうか。
 
 肉体の痛みだけなら、リハビリ後に容易に復帰できよう。精神力(闘争心)の消失は、回復が困難ですから。どうなのでしょう。







2006/07/27 1:04:12|その他
親善試合を減らすという新手法
 「練習時間を多くしたい」と言っているイビチャ・オシム代表監督は、過密日程の中で「目的の無い親善試合」よりも練習効率の良い合宿を重視する方針を明らかにした。

 千葉時代は1年中指導できたオシム監督だが、日本代表は年間100日前後が限界。一朝一夕では身につかない“考えて走るサッカー”を教授するためには、無意味な試合で貴重な招集日を浪費できない

 走るサッカーは、状況判断が重要で、ボールの位置・相手選手の位置とその動き・味方選手の位置とその動きなどによって、動くべき方向も速度も変えなければならない。

 自分はどう判断するか、味方選手はどう判断しているか、味方選手の動きを見て考え方を察知しなければならない。そして、必要と判断した動きを即座に始め、走りながら考え修正してまた考えねばならない。習熟するのは容易でない。

 「強化という目的のない親善試合」を「披露する時間などありません」と言いたいのでしょう。親善試合は日本サッカー協会の貴重な“財源”となっているが、??どうする。

 代表監督って大変ですね。


 聖書を参考にするには、イエスによる弟子訓練の様子を見るのが良いでしょうかね。以下の引用は、マタイによる福音書を参考にしております。

 イエスと弟子たちは一緒にいることが多く、弟子訓練は生活のほとんどを一緒にすごすことによって進められた。弟子たちは、どこにでもついていった。

 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
                                   5章1節

 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
                                   8章23節

 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」
                                   8章25節

 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
                                   9章10節

 イエスが立って彼について行かれると、弟子たちもついて行った。
                                   9章19節

 そのころ、イエスは、安息日に麦畑を通られた。弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた。
                                   12章1節

 すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」
                                   13章10節


 弟子たちがイエスから離れる時期があった。

 しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。                                             26章56節

 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった。』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前のばあいより、もっとひどいことになります。」
                                   27章64節


 イエスが離れていった弟子たちに近づいてくださった。 

 ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」
 そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。
                                   28章7,8節


 弟子たちはイエスの指示に従うようにされた。
 
 しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
                                   28章16節







2006/07/26 8:35:09|その他
前倒し召集という新手法
 イビチャ・オシム監督は、8月9日・トリニダード・トバゴ戦を控えて「練習を多くやりたい」と、招集を前倒しすることで、選手の評価を早めたい意向をもらした。

 予定では、6日召集選手発表、7日&8日に調整して、9日試合の予定であったがどうなるか。

 J1リーグ戦は7月30日で中断するので、最も早ければ31日召集選手発表、8月1日集合、がありうる。
 リーグ戦に出場した選手は、当然疲労していて動きが悪いはずですが、それでも短時間のミニゲームを早い時期に強行して、苦しい時にどんなプレーが出るのか、選手の比較をする可能性がある。
 オシム監督が、重要視するメンタルコンディションの評価である。
 
 田嶋委員長は「オシムさんのやり方はMTM。マッチ、トレーニング、マッチ」と説明したそうで、トレーニングと選手評価の両面からジーコジャパンとは大きく変わる可能性がある。
 意見交流のやり方が変わった。いよいよ選手と直接向き合ったときの、具体的な行動が見えてくる。


 福音書を読んでいきますと、イエスの行動が書かれておりますが、イエスが活動する以前の当時の宗教家たち(律法学者やパリサイ人等)は、会堂(集会所?)で講演?説教?をしていたようですが、イエスは会堂以外に山の上・街の道路・小舟の中・湖の岸辺・家で食事の席で・井戸のそば・他どこででも話をしていたようです。新手法ですね。

 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
                  マタイによる福音書 5章1〜2節

 イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、言った。「主よ。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」・・
                  マタイによる福音書 8章5〜6節

 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。
                  マタイによる福音書 8章23〜24節

 それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。
                  マタイによる福音書 8章28節

 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
                  マタイによる福音書 9章10節







2006/07/25 18:34:35|その他
選手の理想像
 イビチャ・オシム監督は、日本代表選手の理想像を分かりやすく理解してもらうために、ドイツW杯で優勝したイタリア代表主将DFファビオ・カンナバーロ(32)(Rマドリード)を具体例として挙げた。
 カンナバーロ選手は、身長1メートル75、体重72キロと日本選手並みの体ながら、高い技術と強い精神力でイタリア代表不動のセンターバックに君臨している。

 そして、オシム監督が示した選手選考評価項目として、次の4項目を掲げた。
 (1)メンタルコンディション
 (2)フィジカルコンディション
 (3)技術
 (4)戦術理解度


 聖書が示す理想像はキリストと呼ばれるイエスである。イエスが父と呼んでいる神によって示されている。
 
  こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」
                           マタイによる福音書 3章16〜17節

彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。
                           マタイによる福音書 17章5節


 これは、聖書の理想に近づき、それに触れようとするには、信仰の世界に入り込む以外に、道がないことを示しているのではなかろうか。

 この事に関して、オシムのように評価項目を列挙する能力は、私に無い。