いらっしゃいませ。ここは、聖書を真面目に勉強したい人たちの交流の場です。 まだ、よちよち歩きですがよろしくお願いします。管理者
 
2006/10/22 20:17:27|聖書
初めての経験
 駅へ向かいました。駅前に着いたとき恐れを感じていました。何を言われるのだろう・・・・。

 ところが 「おくびょうの霊ではなく」 と思い出されたのです。 「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく」 と思い出されてくるのです。“H 師”が読まれたあの 「ローマ人への手紙8章15節」 が思い出されるのです。

 私は若干の躊躇を感じながらも駅に行き、駅でお詫びをしました。弁済のため1万円を用意していきましたが、駅長さんは 「もうしないように」 とだけ言って受け取りませんでした。

 私が、困った表情でもしていたのでしょうか。 「市役所に預けると良いかな」 とアドバイスをくれました。それで次の日、市役所に行き 「困っている人のためにお使いください」 との内容で渡しました。晴れ晴れとした気持ちでした。


 私が、聖書の言葉によって行動した初めての経験でしたが、これが何を意味するのかわかりませんでした。







2006/10/21 6:50:44|聖書
“H 師”の指導は続きます
 祈りの後、「駅へ行ってお詫びしてきなさい」と“H 師”は言われます。至極当然なことを言われたのでしたが、私の感覚は「なぜ、いまさら・・・」でした。良識が麻痺していたのでしょう。

 鉄道を利用する方法に「煙管(キセル)乗車」という違法の乗車法があったのをご存知でしょうか。

「煙管」とは、先の方に刻んだ煙草を詰める金属部分があり、手元にも金属でできた口にくわえる部分があります。この二つの金属部分をつなぐパイプは木や竹などが用いられていて、不名誉な乗車方法の名前に利用されました。

 私は、改札口を通過するために、乗車駅近くだけの乗車券で入り、下車駅近くだけの定期乗車券で出てしまう方法、つまり、中間部分のお金を支払わない方法で鉄道を複数回利用しました。

“H 師”は「神に詫びるだけでなく、人にも詫びなさい」と言います。







2006/10/20 0:34:01|聖書
信仰者“H 師”の祈り
 “H 師”に導かれるまま、思い出された過ちを“H 師”に告げ、心は「聖書の神を知りたいと」と願っておりました。(この時の私には、聖書の神がわからず聖書の罪がわかりませんでした)

 「もうありませんか」と確認した後、“H 師”は「汝の罪ゆるされたり」(*1)といい、私の生涯の祝福を祈って下さいました。そして、ローマ人への手紙8章15節(*2)を開いてゆっくり読まれました。

 今でも思い起こしますが、この時の私は、過ちと罪の区別がわかりませんでした。そして、赦しも十字架もわかりませんでしたが、少しあとになって、知ることになります。

(*1)
すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。
   マタイによる福音書 9章2節(新改訳)

視よ、中風にて床に臥しをる者を、人々みもとに連れ来れり。イエス彼らの信仰を見て、中風の者に言ひたまふ『子よ、心安かれ、汝の罪ゆるされたり』
   マタイによる福音書 9章2節(文語訳)

(*2)
 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
              テモテへの手紙第U 1章7節

皆さんは、気づかれたでしょうか。
今日の文章は、非常に大切ですので、数日かけ思い出しながら書いて、加筆訂正しました。

以下、大切な理由です。
1.私は自分の理性・理解と関係なく“H 師”の指導と祈りを受け入れています。この時の相手が「オウム真理」や「○×▲の証人」「統一●■」等の危険な宗教の指導者に触れていたら、そのグループに入ったかもしれない。

 その意味で、私は信仰の(人生の)危機に遭っていたのです。これを読んでおられるあなたや、あなたの大切なご家族はいかがでしょうか。親元を離れて学生寮や従業員寮におられる子供さんたちの様子を、少し見てあげてください。

2.私は「聖書信仰の入り口」に立っていたのです。この後、手探りで聖書の世界を歩きはじめます。








2006/10/19 0:46:03|聖書
真面目な暴走と初めての(無言の)祈り
 次の日、“H 師”を訪ねて状況を報告して、私が告げた言葉は「先生。一緒に、向こうのグループに行きましょうよ」でした。

 “H 師”は今も覚えておられるだろうか。次の日曜日のメッセージは、十字架の話でした。
 私には全く理解できませんでした。今想えば、人間の罪・イェスの死・贖い・救い・などが語られたのであろうと思います。

 私にとっては遠い国の、しかも2000年も前の古い話に過ぎませんでしたから、“イエスが殺された物語だな”程度に受け取っていました。

 しかし、“H 師”は、顔を紅潮させて、熱っぽく、いつもより激しく語っておられて、その語調は、私に対して、大切なのはそれじゃない、そうじゃないよ”といっているように受け取れました。

 “H 師”の優しさにいつも触れながら過しておりましたから“あぁ〜私は何か間違っているのかな”と感じておりました。

 集会後、“H 師”が私のところに来られ「お祈りしましょう」と言われる。理解はできないが、断わる理由も無い。教えてもらおう。







2006/10/18 9:14:52|植物と花
ピンクの大文字草
花びらの色がピンクです。

友人からいただいたときの花びらは すべて白でした。

葉の形が少し異なっている茎が

白い花の茎の根元ににしがみつくように生えていて

花を付けませんでした

昨年4月の株分けの時に

別の株として育てることにしました

葉の成長が、他の株に比べてかなりゆっくり

秋に ピンクの花を2りんつけました。

今年は、写真右