いらっしゃいませ。ここは、聖書を真面目に勉強したい人たちの交流の場です。 まだ、よちよち歩きですがよろしくお願いします。管理者
 
2006/11/21 9:07:14|社会問題
愛 の対極語
 昨日 「対極語」 という話を聞いた。 「反義語」 あるいは 「反意語」 ともいうようですが、右に対し左、上に対し下、などはわかり易い。出席に対し欠席、入り口に対し出口、親に対し子、明るいに対し暗い、暖に対し寒、強に対し弱、硬いに対し軟らかい等々。少し抽象的になると有に対し無、苦に対し楽、生に対し死。
さて、その方は 「愛」 の現実的対極語はなんだと思いますかという。直感で憎しみを思い浮かべたが、その方は 「無関心」 だという。


いま、学校内の 「いじめ」 が社会問題となっていますが、 「いじめ」 を受けている生徒が誰か他の人に訴えて、解決しようとしたケースは一割程度だという報道を聞いたことがあり、重大性を考えさせられた。  ――以下考えたこと――


社会的経験の少ない子供は、先ず両親に目を向けて、喜び・悲しみ・怒り・憐れみ・楽しみ・悩み等々、何かを訴えるでしょう。しかし、大人の都合で子供の声・訴えに関心が向かない。否、親自身が、経済活動・諸問題・悩み・苦悩などを抱えている場合が多いから、子供の問題を正面で取り組もうとする動機が湧いてこないのかも知れない。子供にとってこうしたことが2回3回4回と続けば、親をそのような人なのだと固定化する可能性がある。子供の環境は順次、近所のお友達、近所の大人、学校の先生、学校のお友達・・・・経験を積み重ねていく訳だが、無関心という人間関係に馴れてしまうとどうなるのだろう。


コミュニケーションが不慣れな状態。

興味が湧かない学校の授業で教師の話が頭に入ってこない時に、その生徒はどうするのであろう。教師に向かって 「授業がわかりません」 とは言わないだろう。校庭で運動をしているクラスがあれば、耳が校庭の声に引き付けられ目は校庭に向くでしょう。絵が好きなら教科書に漫画を書くかもしれない。筆箱をわざと落として教師の注意を引こうとするかもしれない。


教師は、授業計画を時間内に消化したいから、理解できていそうな生徒を相手に質疑をして、形を整える(教師の無関心を仮定)。教師だって生徒全員のハートを掴むコミュニケーションができるわけじゃないですよね。


このままなら、校庭を見ている生徒のハートに取り残された挫折感が残るでしょう。挫折感が積もっていけばいつか暴走の時がくることになる。他の原因でも挫折感や人間不信は起こるし、負の心理を共有する生徒が意気投合すれば、いじめが起きそうだし、ひとりだけで取り残されていれば、或いは、ひとりだけ優秀で歩いていれば、いじめのターゲットになりそうです。


最近、校長先生の自殺が2件発生したことが報道されており、校長先生でさえ絶命するほどのコミュニケーション不足を起こす環境となっているのなら、子供達のコミュニケーション環境が極めて悪くなっていると容易に想像できよう。


お母さん・お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんどうやったら挽回できるかだと思う。だから、校庭を見ている生徒のハートに関心が持てれば挽回のチャンスがあると思いますがどうですか。

「神は・・・・・に引き渡され」 たのです。
「自分の欲求」 の奴隷になっている状態から抜け出す必要がありませんか。
「大切な何かを、忘れたままにしないで下さい。」 とお子さん達が言っていないのでしょうか。
いや、あなた自身の魂が言っているかもしれない。

聖書は
「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。」
(コリント人への第一の手紙 12章22節)

と言っています。







2006/11/04 7:21:36|聖書
今でも勉強嫌い
 管理者の自己紹介はここまでにしておきます。これから先は周囲の友人たちの経験を含めた聖書の勉強を、少しずつ進めたいと思っています。ですから、皆さんの思いや経験を、教えていただきながらです。
 私は、今でも勉強嫌いなのです。しかし、聖書の世界の広がりのすごさを、少しずつ感じていますから、もっと探索してみたいのです。よろしくお願いします。

 長すぎた自己紹介にお付き合いくださってありがとうございました。

1.勉強嫌いの管理人: 有名サッカー選手を
2.聖書との出会い(ごあいさつ): 新約聖書の購入

3.神も仏も思い込み(序章1): 栃木市に200人でも
4.同じ物語が繰り返されて退屈(序章2): 三つの福音書

5. 会社の先輩がクリスチャン(序章3): “Oさん”との出会い
6.合唱団員の中にクリスチャン(序章4): “Sさん”との出会い

7.会社の直属上司がクリスチャン(序章5): “OGさん”との出会い
8.あなたの席が空いています: “T 師”(^o^)との出会い

9.集会後の楽しそうな高校生たち: 聖書が気になりました
10.暴走の予感: 先生

11.真面目な暴走と初めての(無言の)祈り: 向こうのグループに
12.“H 師”の指導は続きます: 罪過の告白

13.初めての経験: 聖書の励まし
14.自己中心的 読み方: 自分のペースで説教中に

15.選びという迷走録: 選ばれたかった
16.神は・・・・・に引き渡され: 悪い思いの原因

17.よく歌われていた歌: わが罪のためなり
18.見世物を見物するように観察して: 彼らをお赦しください

19.あなたのためです: 真の選び
20.フィクション か それとも 真実: 考える手立てはなにか

21.キリスト教の爆発的拡大の様子は: 「事実を裏付けるものの一つ」







2006/11/03 8:09:04|聖書
キリスト教の爆発的拡大の様子は
 十字架の記事に続く 「私は主にお目にかかりました。」 という記事に戸惑っていた私の心を“H 師”がわかっていたのだろうか。“H 師”は、特別に高名な“T I 師”を招いた集会を開きました。

 “T I 師”の話は学校の教師のようで、難しい問題を分かり易く話される方でした。 「イエスのよみがえり」 についても話されました。

 ごくまれに起きる事や一度しか起きないことについて、その真偽を調べるには、その事に関連しそうな周囲の状況(政治・経済・習慣・気候・記録・他)と複数の人々の証言を基に判断する方法を採用するそうです。(法的判断?)

 「イエスのよみがえり」の記事も、これに該当する。そして 「この記事を書いた弟子達のいのちを掛けた行動から『事実』と考えられます。
更に、キリスト教の爆発的拡大の様子は 『事実』 と考えないと説明できないでしょう。」 という意味のことを言われ 「私は事実と確信しています。」 とも言われておりました。

 私は、“なるほど”と思いました。しかし、実感がともないませんでした。私の理性は事実として受け止めました。しかし、この時の生活への影響はわずかでした。徐々に、徐々に、知識が信仰へと変わっていくのでした。







2006/11/02 11:36:49|聖書
フィクション か それとも 真実
 聖書と個人がかかわりを持つようになった時、最初の障害になるのは 「イエスのよみがえり」 の記事でしょう。 私も例外ではありませんでした。

どのように受け止めればよいのか、かなり困惑した記憶があります。

 聖書を読みますと、弟子達さえも困惑し女性達の言葉を信じられずアタフタした様子が書かれています。良く書かれているなと感じると同時に、 フィクション か ノンフィクション かという問題が出てきたのです。

 「使途の働き」 を読みますと迫害者パウロの回心とパウロの活躍と苦闘が書かれています。そのパウロが書いた手紙類は、難解で理解できませんでしたが、信仰の深いところが書いてあるものと感じられました。しかし、内容は「イエスのよみがえり」が大前提になっています。

“H 師”に聞けばよいものを、聞いたら温和な“H 師”が困惑するかもしれない。聞いたら迷惑をかけるかもしれない等と思い込んでいたようです。

 科学万能の思想家だった私には、1回しか起きないことを、それも2000年も前の事件を、考える手立てがありませんでした。







2006/11/01 11:25:07|聖書
あなたのためです
そんな時、青年たちだけの集会が計画され、特別講師として“OO師”が招かれていました。
集会前に“H 師”が、あなたが最年長だから司会をしなさいという。突然でしたが、私し以外は高校生でしたから引き受けておりました。

 集会は淡々と進み、“OO師”が十字架の話を力強くされました。私は例によって、聞いていましたが心に留めることをしませんでしたから、今、話の内容を思い出せません。でも、一つだけ思い出せるのです。

 説教の中で“OO師”は 「あなたがたのためです。」 と語っておられたが、最後に 「あなたのためです。」 と吐き出すように言われたのです。

この時私は、自分の思考内容に関係なく 「私のため」 と受け止めたのです。
イエスは、私のために十字架に付かれたと受け止めたのです。

“OO師”が何を意識されておられたか知る由もありませんが、私はこの時から「聖書の神への従順」を学び始めたように思います。(幾度となく迷路に入りながら。)

御参考
これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。
この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
                       ルカによる福音書 22章19・20節

そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
                   マタイによる福音書 25章34節