今日の部分の中心人物は幼子イエスであるが、その幼子を目立たせているのはシメオンと女預言者アンナである。 この二人は通常の人が感じないものを感じるようで、「聖霊」或いは「御霊に感じて」行動し、神を喜ぶ能力を備えているようだ。今の私には、この能力を経験できない。 また、父と母は、・・・・驚いているが、彼らの霊的能力を驚いているのではなく、イエスに対して語られている内容を驚いている。別の記事でもそうだが、この子はいったいどうなっていくのだろうかと、しげしげ幼子を見つめたに違いない。
次の文章は「ルカによる福音書 2章21節」以降である。 私は、原則として「いのちのことば社」の新改訳聖書を引用しているが、他の訳でも大きな違いはないはず。確認して欲しい。
八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。
さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。 (途中略)・・・・・・・・ そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。 聖霊が彼の上にとどまっておられた。また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。 彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来た。 すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。 私の目があなたの御救いを見たからです。 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」
父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた。 (途中略)・・・・・・・・・・ また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。 ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。
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