いらっしゃいませ。ここは、聖書を真面目に勉強したい人たちの交流の場です。 まだ、よちよち歩きですがよろしくお願いします。管理者
 
2007/01/22 7:24:59|聖書
ルカによる福音書に戻る
 先ず、聖書を4章31節から、お読みください。

(宣教開始)31〜32節
それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに下られた。そして、安息日ごとに、人々を教えられた。
人々は、その教えに驚いた。そのことばに権威があったからである。

(悪霊につかれた人をいやした例)33〜37節
また、会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいて、大声でわめいた。
「ああ、ナザレ人のイエス。いったい私たちに何をしようというのです。
あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。
私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」
イエスは彼をしかって、「黙れ。その人から出て行け。」と言われた。
するとその悪霊は人々の真中で、その人を投げ倒して出て行ったが、その人は別に何の害も受けなかった。

人々はみな驚いて、互いに話し合った。「今のおことばはどうだ。権威と力とでお命じになったので、汚れた霊でも出て行ったのだ。」
こうしてイエスのうわさは、回りの地方の至る所に広まった。

(熱病の人をいやした例)38〜39節
イエスは立ち上がって会堂を出て、シモンの家にはいられた。
すると、シモンのしゅうとめが、ひどい熱で苦しんでいた。
人々は彼女のためにイエスにお願いした。
イエスがその枕もとに来て、熱をしかりつけられると、熱がひき、彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。

(病人や悪霊につかれた人など多くの人をいやした)40〜41節
日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。
また、悪霊どもも、「あなたこそ神の子です。」と大声で叫びながら、多くの人から出て行った。
イエスは、悪霊どもをしかって、ものを言うのをお許しにならなかった。
彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。

(早朝の様子)42
朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。群衆は、イエスを捜し回って、みもとに来ると、イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。

(カペナウム以外での活動)43〜44節
しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。
わたしは、そのために遣わされたのですから。」
そしてユダヤの諸会堂で、福音を告げ知らせておられた。


既にお気付きと思う。
マタイによる福音書とほぼ同じです。
4人の弟子達を呼びだす記事が、マタイにあってルカにない。
ルカによる福音書で、弟子を呼びだす記事は、次の5章に出てくる。
マタイとマルコでは、弟子を呼びだす記事の後に、カペナウムでの活動が出てくる。
ルカは、この順序が反対である。
聖書は、記事の記載順序に関して、こだわらないようです。
あ〜ぁ。
聖書記者が何を伝えたいのかを読み取るために、記者がどんな環境でそれを書いていたのか、誰と一緒に過ごしていたのか、記者は誰に伝えようと意識していたのかなど‥。
考える必要がありそうです。

聖書の読み方って難しいですネ。







2007/01/21 7:52:49|聖書
ナザレの人々が噂で聞いた内容
 前回と同じ方法で、マルコによる福音書を調べる。
1章14節以降は、マタイによる福音書と同じように、4人の弟子を呼び出す文章に続き、カペナウムでの活動内容をイメージさせるような言葉で始めている。マタイによる福音書と異なるのは、具体的ないやしの実施例が続々と続いていることだ。

この具体例こそ、ナザレの人々が噂で聞いた事であり、この郷里でもやって見せて欲しいと望んでいた事柄だと思うのだが、「続々と続いて書かれて」いることが気になる。

聖書の記者は、日々、日記をつけていたのではなく、少なくても数年後、おそらく20年程度あとで、書いただろう。そうだとすればこれらの記事は、時間経過の感覚をほとんど無視して書かれていると思うべきである。

とすれば、カペナウムで別の時期に実施された不思議な出来事を、次々と並べて書いたかもしれない。同時に、事柄の順序も入れ替わって書かれているかもしれないと思えてくる。
書かれた内容に注目することにしよう。ふぅ〜。あなたはどう思いますか。

(宣教開始)14〜15節
ヨハネが捕えられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」

(4人の弟子を呼び出す)16〜20節
ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。
また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。
彼らも舟の中で網を繕っていた。
すぐに、イエスがお呼びになった。
すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。

(カペナウムでの活動内容イメージ)21〜22節
それから、一行はカペナウムにはいった。
そしてすぐに、イエスは安息日に会堂にはいって教えられた。
人々は、その教えに驚いた。
それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。


(悪霊につかれた人をいやした例)23〜28節
すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。
「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。
あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。
私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」
イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け。」と言われた。
すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。

人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。
「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。」
こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地の至る所に広まった。

(熱病の人をいやした例)29〜31節
イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家にはいられた。
ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。
イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。
すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。

(病人や悪霊につかれた人など多くの人をいやした)32〜34節
夕方になった。日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのもとに連れて来た。
こうして町中の者が戸口に集まって来た。
イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をお直しになり、また多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。

(早朝の様子)35〜37節
さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
シモンとその仲間は、イエスをを追って来て、
彼を見つけ、「みんながあなたを捜しております。」と言った。

(カペナウム以外のガリラヤ地方での活動)38〜39節
イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。
そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」
こうしてイエスは、ガリラヤ全地にわたり、その会堂に行って、福音を告げ知らせ、悪霊を追い出された。

(らい病人をいやした例)40〜42節
さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。
「お心一つで、私はきよくしていただけます。」
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。
「わたしの心だ。きよくなれ。」
すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなった。

(宣教活動が制限され始めた原因)43〜45節
そこでイエスは、彼(らい病を患っていた人)をきびしく戒めて、すぐに彼を立ち去らせた。
そのとき彼にこう言われた。「気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。
ただ行って、自分を祭司に見せなさい。
そして、人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をしなさい。」
ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。
そのためイエスは表立って町の中にはいることができず、町はずれの寂しい所におられた。
しかし、人々は、あらゆる所からイエスのもとにやって来た。

しかし、イエスは人々に見せることを、最も嫌っていたようです。43〜44節がそれを物語っている。

この後にも、いろいろな活動が続くが、省略させていただく。直接聖書をお読みください。







2007/01/20 7:32:49|聖書
マタイによる福音書には
 マタイによる福音書に書いてある可能性から調べてみる。
4章13節と14節の表現は誤解されやすいと思う。
繰り返し読んでいて、ようやく分かった著者の意図は、預言の成就である。
即ち、主旨は、
イエスが、カペナウムにきて住まわれたが、それはイザヤの預言が、現実のものになるためでしたよ。
「イザヤ書には、15〜16節のような預言が書いてあったでしょ。」といいたいのです。
カペナウムに来てから、弟子を呼んだと読むと混乱します。
(  )内の文章は、参考のために、聖書の要点を私の判断で付加したものです。

(預言の成就)12〜16節
ヨハネが捕えられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。
そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。
これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、
「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。
暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」

(4人の弟子を呼び出す)17〜22節
この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。
彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。
イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
彼らはすぐに網を捨てて従った。
そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。
彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。

(カペナウムを拠点にした、宣教行動とその結果)23〜24節
イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで、人々は、さまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかん持ちや、中風の者などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをお直しになった。


書いてありましたネ。宣教といやしのわざが。
少し疲れる作業ですが、マルコによる福音書も覗いて見ましょう。







2007/01/19 13:58:12|聖書
「キリストの初期旅行」
カペナウムで行なわれたという噂の内容を、推理したいと思いながら、イエスの足取りを追いかけ始めましたが、ほとんど分かりませんでした。例えばマタイによる福音書を見て、地名を探し始めると次のように出てくる。

マタイによる福音書が示す活動地方の例
4:1 荒野
4:12 ガリラヤへ立ちのかれた。
4:13 ナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。
4:18 ガリラヤ湖のほとり
4:23 イエスはガリラヤ全土を巡って、

どこかの荒野からガリラヤへ行き、ガリラヤからナザレへ行ったようだなと感じながら、聖書に付随する地図を見ると、ナザレはガリラヤの一部に過ぎないし、カペナウムもガリラヤの一部です。あ〜ぁ。かなり前に調べた記憶がありました。

ところが、親切な聖書です。「キリストの初期旅行」と題された地図もあって、イエスの宣教経路が書いてありました。
どなたか(おそらく複数の人)が苦労して調べた結果でしょう。
先ず、そこにある説明文を紹介します。
(以下、新改訳聖書、注解・索引・チェーン式引照付、いのちのことば社発行1981、より引用)

1 ベツレヘムでのキリストの誕生とエジプトへの避難の後、聖家族はナザレに帰った。
   少年時代、キリストは過越しのためエルサレムを訪れた。
2 ベテアバラでバプテスマを受けた。
3 ユダの荒野をさまよい、サタンの誘惑を受けた。
4 カナの婚宴で、最初の奇跡を行なった。
5 カペナウムへ行き、宣教といやしのわざをはじめた。
6 エルサレムを訪れ、神殿から両替人たちを追い払った。
   カナへの帰途、スカルの井戸端でサマリヤの女に出会った。
7 ナザレで福音を説き明かそうとしたとき、町の人々から排斥された。
   その後、カペナウムへ帰った。

ルカによる福音書の記事は 7項であり、5項の中身が知りたいことになります。4項ではない。







2007/01/18 7:55:37|聖書
「ヨセフの子ではないか」と言った
 イエスは、自分が育ったナザレ地方で宣教を始める前に、カペナウムで何かを行なったようです。
その噂に対するナザレの人々の反応は、恵の言葉に驚いたが「この人は、ヨセフの子ではないか。」であって、『大工をしていた普通の人間だった』『あの噂は本当だろうか』『本当なら我々も直接見たいものだ』と考えていたようだ。
こうした考えに対するイエスの回答が、この箇所の主題だと思う。
聖書の文章をどうぞ。

そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と彼らは言った。
イエスは言われた。
「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ。』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」

また、こう言われた。
「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。
わたしが言うのは真実のことです。
エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。

また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、らい病人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」


これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。
しかしイエスは、彼らの真中を通り抜けて、行ってしまわれた。

                     ルカによる福音書 4章22〜30

ナザレの人々の反応についてイエスは、噂を不信仰な思いで評価する郷里の人々に対して、昔の人たちと同じだと攻めている。

ところで、
カペナウムで行なわれたという噂の内容は、何だろうか。
他の福音書から推理してみたくなった。
私は、やはり野次馬か。