以前も断わりましたが( )内の文章は、私個人の主観で区分し補足したもの、参考または、考えるヒント程度にとどめて読むべきです。
マタイによる福音書の5章が、脳裏をかすめる。 微妙な違いがある。
さて、ここは、難しい部分ですネ。
貧しいのは、どの程度の貧しさか。 飢えているとは、何日断食した後のことか。 泣いている原因は、何でも良いのか。 憎まれたら喜べとは、何事だ。 富んでいるって、貯金でいうならいくら以下ならいいのか。・・。 以前、ここを読みながらチョット感じたことを、極端に例示しましたがだが、全く方向が違うでしょう。
イエスは、この部分を「多くの弟子たち」「大勢の民衆」の前で話したのである。 「ここは大切な部分だから紙に書いて渡します。」とは言われなかった。 最近になって感じているのは、風に乗って聞こえてくる歌を聞くように、この部分を聞きたいということ。
それで喜びを感じたら、すこぶる健康。 アレ!何か変だぞと感じたら、少し不健康。 なに、こんなこと聞いていられないと感じたら、「信仰の」死亡宣告を受けたようなもの。 何も感じなくなったら、ゴシュウショウサマ。 最近の私は、少し不健康なようです。パソコンの前に座る時間が多いので、運動不足かもしれない。
あなたは、どんな読み方をしたいですか。 ルカによる福音書 6章続きです。
(イエスがいる環境と背景)17〜19節 それから、イエスは、彼らとともに山を下り、平らな所にお立ちになったが、多くの弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、さてはツロやシドンの海辺から来た大勢の民衆がそこにいた。 イエスの教えを聞き、また病気を直していただくために来た人々である。また、汚れた霊に悩まされていた人たちもいやされた。 群衆のだれもが何とかしてイエスにさわろうとしていた。大きな力がイエスから出て、すべての人をいやしたからである。
(イエスの神の国に関する実感)20節 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。 「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。
(イエスの神の義に関する実感)21節 いま飢えている者は幸いです。 あなたがたは、やがて飽くことができますから。 いま泣いている者は幸いです。 あなたがたは、いまに笑うようになりますから。
(すぐに来る迫害に対する、事前の励まし)22〜23節 人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。 その日には、喜びなさい。 おどり上がって喜びなさい。 天ではあなたがたの報いは大きいからです。 彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。
(この世の富で満たされている者に襲う悲哀の予告)24〜26節 しかし、富んでいるあなたがたは、哀れな者です。 慰めを、すでに受けているからです。 いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。 やがて、飢えるようになるからです。 いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。 やがて悲しみ泣くようになるからです。 みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。 彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。
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