この部分は「手引きする人される人」の直後の部分だから、同じテーマが続いていると考えると判り易いでしょう。 目にチリが入っていれば目が痛むし、よく見えない。 “目に梁”がという例えが凄い。桁違いに大きい。 梁とは、建物の屋根や上階の床の重さを受け支えるために、柱上に渡される横木のことで、あの梁が自分の目にあるというのである。 梁が有って、真理が見えない人に、真理を見えにくくしている他人の小さな間違いを直すことなど、できるはずが無いと言っている。 ルカによる福音書 6章続きです。
(チリと梁)41〜42節 あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。 自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください。』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。
昨年の10月19日に投稿した「真面目な暴走と初めての(無言の)祈り」を思い出す。 イエスは心の思いの原因となる世界、魂の世界、霊の世界のことを指摘しているようです。 自分の目の梁やチリを徹底的に除いていただきたいものです。
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