いらっしゃいませ。ここは、聖書を真面目に勉強したい人たちの交流の場です。 まだ、よちよち歩きですがよろしくお願いします。管理者
 
2007/02/16 7:25:07|聖書
桁違いに大きい
この部分は「手引きする人される人」の直後の部分だから、同じテーマが続いていると考えると判り易いでしょう。
目にチリが入っていれば目が痛むし、よく見えない。
“目に梁”がという例えが凄い。桁違いに大きい。
梁とは、建物の屋根や上階の床の重さを受け支えるために、柱上に渡される横木のことで、あの梁が自分の目にあるというのである。
梁が有って、真理が見えない人に、真理を見えにくくしている他人の小さな間違いを直すことなど、できるはずが無いと言っている。
ルカによる福音書 6章続きです。

(チリと梁)41〜42節
あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。
自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください。』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。


昨年の10月19日に投稿した「真面目な暴走と初めての(無言の)祈り」を思い出す。
イエスは心の思いの原因となる世界、魂の世界、霊の世界のことを指摘しているようです。
自分の目の梁やチリを徹底的に除いていただきたいものです。







2007/02/15 17:41:03|サッカー
ようやく代表復帰
昨年、サッカー日本代表の中沢祐二選手が、サッカー日本代表辞退発言をしたのを知って、その感想を7月27日に投稿した。
昨日の Web 記事によると、ようやく代表復帰の決意ができたようだ。

[デイリースポーツ]によれば、
『「日本には優れたストッパーが不足している」と嘆くオシム監督も待望の復帰だ。スタッフ会議では「背が高く足元でさばける選手」として再三にわたり、中沢の名前を挙げていた。日本協会側は06年最終戦の11月のサウジ戦後に復帰に向けて動きだし、中沢説得と受け入れ準備を進めていた。』そうだ。

私も、日本代表の試合結果が、得点を相手に許しているのを知る度に、中沢祐二選手の躍動した姿を思い出した程だから、このニュースに暖かいものを感じた。
「燃え尽き症候群」というほどの「深い喪失感」を、私は経験していないが、周囲の人達の理解と支援があったようだ。

中沢選手は、現在29歳。南アフリカW杯のときには32歳になっている。健闘を期待したい。







2007/02/15 8:42:02|聖書
自分の師は誰??
この部分も 「しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。」 といわれた話の続きです。
ルカによる福音書 6章続きです

(手引きする人される人)39〜40節
イエスはまた一つのたとえを話された。
 「いったい、盲人に盲人の手引きができるでしょうか。
ふたりとも穴に落ち込まないでしょうか。
弟子は師以上には出られません。
しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。

イエスは、かなり強烈な皮肉を言っている。

手引きをする人とは誰か。
おそらく、聞いている人の中に、その時代の宗教を指導していた律法学者(旧約聖書の研究家)や、パリサイ派(律法を実践しようと努めた宗教家グループ)の人達もいたのではなかろうか。
あるいは、その影響を強く受けた人達も多かったと考えることも出来よう。
それが誰であれ、教えている人達を指していると思う。
イエスは、宗教を教える人を指して、真理を理解していないのに真理を教えようとしていると言っていると思う。
今の時代なら、だれだろう。

同時に、私達に対して、どのような人に教えを請えばよいのか、よく考えなさいと言っているでしょう。
私達は、どのようになりたいかを考えて、それにふさわしい師を見分けねばならない。







2007/02/14 7:44:10|聖書
そうすれば、自分も
私は、このところを読みながら、「悲しみは喜びに」という2月3日の投稿記事を思い出していた。
書いてあることは全く別のことなのだが、文章のリズムが似ている。原文がそうなのか、ただ、翻訳の影響なのか知らない。
共通して感じているのは、風に乗って聞こえてくる歌を聞くように、この部分を聞きたいということ。
今は、歌を聞きながら、難しい人間関係の波を、乗り越えていきたいと思うのです。
ルカによる福音書 6章続きです

(さばくな、赦せ、与えなさい)37〜38節
さばいてはいけません。
そうすれば、自分もさばかれません。

人を罪に定めてはいけません。
そうすれば、自分も罪に定められません。

赦しなさい。
そうすれば、自分も赦されます。

与えなさい。
そうすれば、自分も与えられます。
人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。
あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。







2007/02/12 7:34:16|聖書
恩知らずの悪人
ルカによる福音書 6章続きです

(あわれみ深いように)35〜36節
ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。
そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。
あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。


イエスは、全く不可能なことを要求されない方だと思う。
そのイエスが、天の父は 「恩知らずの悪人にも、あわれみ深い」 と言われる。
だから私にも、あなたにも、可能性が残されている。
イエスに支えていただいて、100キロ進むうちの、20センチを踏み出したい。