いらっしゃいませ。ここは、聖書を真面目に勉強したい人たちの交流の場です。 まだ、よちよち歩きですがよろしくお願いします。管理者
 
2007/03/01 8:51:41|聖書
この木なんの木、どんな実がなる
イエスの伝道旅行に同行した女性達が、意外に多いようだ。
引き続き、概要の羅列かな。
ルカによる福音書8章です。

(伝道旅行の様子)1〜3節

(種蒔きのたとえを話す)4〜8節

(たとえで話す理由)9〜10節

(種蒔きのたとえの解説)11〜15節
このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。

道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。

岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。

いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。

しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。


(私個人について)
記憶力が低下し、忘却力が成長しているので道端の様だ。
イエスが、私の罪の代償として十字架刑を受けられたと聞けば喜んで受け取るが、試練の時に私はどんな行動を採るのだろうか。根が有るかどうか自分では分からない。
私の周りの人々は、仏教徒や神道の人達ばかりなので、おろおろする。
慶弔の交際ごとは後ろ指さされたくないし、わずかな富も、サッカーのテレビ観戦も捨てたくないし、私の行動は中途半端だ。
イエス様の目で見ると、霊の世界の足萎えだろうか。
だとすれば、ますますイエスに哀れみを請わねばならない。
人生の終局が来る前に、実が熟するように。

神の国の奥義を知ることが許されているのは誰か。
投稿記事 「見えていない私だから」 で触れた 「聞いて行なう人」 のような気がする。
これも教えを乞わなければならない。
私達の信仰は、一人一人の人生の途上で試されることがわかります。







2007/02/26 0:11:29|聖書
あなたより多く愛している
引き続き、概要の羅列です。
ルカによる福音書7章続きです。

(イエスに香油を塗った罪深い女)36〜39節

(多く赦された者の行動のたとえ)40〜42節

(罪深い女は、あなたより多く愛している)44〜46節
そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。
この女を見ましたか。
わたしがこの家にはいって来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。
あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしがはいって来たときから足に口づけしてやめませんでした。
あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。


(赦しの宣言)47〜48節
だから、わたしは言うのです。
『この女の多くの罪は赦されています。
というのは、彼女はよけい愛したからです。
しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』

そして女に、 「あなたの罪は赦されています。」 と言われた。

(パリサイ人の混乱)49節
すると、いっしょに食卓にいた人たちは、心の中でこう言い始めた。
罪を赦したりするこの人は、いったいだれだろう。

(イエスの保障)50節
しかし、イエスは女に言われた。
あなたの信仰が、あなたを救ったのです。
安心して行きなさい。


私の気付き事項
@ パリサイ人は人の罪(欠点)を見る。イエスは人の愛を見る。
A 「あなたの罪は赦されています。」 この文章は過去形だ。
この翻訳が正しければ、罪が赦されたのは、女がこの家に入ってくる前の出来事によって生じた女の信仰によってだ。







2007/02/24 15:49:48|聖書
バプテスマのヨハネ
このブログに立ち寄ってくださる方がどのような方なのかわかりませんが、ほとんどの方が聖書を持っておられるのだろうと感じています。
今日の部分は、私の感想などよりも、聖書引用が多くなってしまうので、御自分の聖書を見ていただく事にした。
参考のための、概要の羅列になります。
ルカによる福音書7章続きです。

(バプテスマのヨハネの待望信仰と確認行動)18〜20節)

(バプテスマのヨハネに対するイエスの回答)21〜23節


(バプテスマのヨハネに関するイエスの解説)24〜28節
バプテスマのヨハネは、すごい人物であったと、私は感じている。
なのに、「しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています。」というイエスの言葉があって、理解しにくい。
私の課題として、残しておく。

(宗教家達に対するイエスの批判)29〜35節
パリサイ人は 「神の自分たちに対するみこころを拒みました。」 という。
神が、彼らにも近づこうとなさるのを彼らが拒んだのだ。








2007/02/22 8:29:18|サッカー
平山相太選手・大幅に良くなった
21日、サッカーU−22日本代表と同アメリカ代表が親善試合を行なった。

平山相太選手の動きを中心にTV録画を観たが、昨年の同選手の動きより大幅に良くなっている。
たぶん今年は活躍するだろう。
ただ、得点できなかった事と終盤に足が止まったように見えた事が気になった。
鍛錬の継続を期待する。

以下本人の試合後の発言。
悲観せずに(やっていきたい)。調子は良くなっている。この時期の課題は体重を減らすことと、けがをしないこと。(体が)絞れてきたという実感はある。







2007/02/22 7:24:59|聖書
タイミング
ナインの町では、イエスを待っていたかのように、夫に先立たれた婦人の一人息子の死という葬送の列が歩いている。
私の聖書に付属する地図を見ると、カペナウムから南南西30キロ強の位置にナインという町が記されている。
ルカによる福音書7章続きです。

(ナインの町の状況)11〜12節
それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちと大ぜいの人の群れがいっしょに行った。
イエスが町の門に近づかれると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んでかつぎ出されたところであった。町の人たちが大ぜいその母親につき添っていた。

(イエスの言葉と結果)13〜15節
主はその母親を見てかわいそうに思い、 「泣かなくてもよい。」 と言われた。
そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、 「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」 と言われた。
すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。

(人々の反応)16〜17節
人々は恐れを抱き、 「大預言者が私たちのうちに現われた。」 とか、 「神がその民を顧みてくださった。」などと言って、神をあがめた。
イエスについてこの話がユダヤ全土と回りの地方一帯に広まった。

私の感想
この婦人は、信仰告白をしたわけではなく、イエスに使いを出したわけでもない。
ただ、悲しみに浸っていただけのように見える。
そうして、イエスの、一方的な哀れみによって、声がかけられ、不思議が実現している。
イエスの優しさと不思議の実現は、他の記事と同じなのだが、イエスが、この葬送の列に出会うようにカペナウムを出発して、30キロもの道を歩いてきたように感じさえする。
考えすぎだろうか。