ならば “私” なる霊は何を望んでいるのか。 “私” なる霊は “聖霊” がもたらす平安と人生の大きな可能性を考慮に入れず、レギオンが男にもたらした困難を、私にもたらす可能性に対して、強い拒否反応を起こす。(ような気がする) 平たくいえば、自己防衛優先反応である。
だが、私の理性は、聖書が要求する 「いつも喜んでいなさい」 に応じられるようになりたいのだ。 少し飛躍するが、 “聖霊” 優先反応が理性の要求するところだ。
この地方の人々は、 “私” と同じ反応をしてしまったようだ。 悪霊を追い出された男は、 “聖霊” 優先反応に転換しているように見えるネ。 私を指導してくださる信仰の先輩にこの文章を読んで欲しい。 ルカによる福音書8章です。
(豚を飼っていた人の反応)34〜37節 飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた。
(出来事を見に来た人々の反応)35節 人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。 人々は恐ろしくなった。
(目撃者たちの行動)36節 目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第を、その人々に知らせた。
(ゲラサ地方の民衆のおびえ)37節 ゲラサ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちのところから離れていただきたいと願った。 そこで、イエスは舟に乗って帰られた。
(いやされた男の行動)38〜39節 そのとき、悪霊を追い出された人が、お供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。 「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」 そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。
(私の気付き事項) イエスはたった一人の男の霊の苦しみを放置せずに、湖を渡ってきた。 たった一人だが、その一人でも見捨てないで、神の力を行使された。 聖書記者は、罪を自覚することによる苦しみからの開放だけでなく、悪い霊によって直接苦しめられることが有ることを伝えた。
(参考) *1 レギオン:当時のローマ軍の最大の軍団の呼称と同じで,6000人で編成されていた。
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