いらっしゃいませ。ここは、聖書を真面目に勉強したい人たちの交流の場です。 まだ、よちよち歩きですがよろしくお願いします。管理者
 
2007/03/15 23:12:54|聖書
国王の当惑
使徒達の宣教訓練の段階に入った。
使徒たち十二人に、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とを授け、心得を教えて宣教に遣わす。
使徒たちは出かけていって、至る所で福音を宣べ伝え、病気を直し、帰ってきて報告するのだ。
どの程度の期間なのか分からないが、使徒達は宣教活動の素晴らしさと権威の確かさを経験しているようだ。(今回の範囲から外れているが、9章54節に自信過剰と思われるほどの勇ましい発言が見られる。)
概要の羅列になりました。
ルカによる福音書9章です。

(使徒達による伝道の概要)1〜2節

(伝道旅行の心得1 持ち物)3節

(伝道旅行の心得2 宿泊)4節

(伝道旅行の心得3 受け入れない人への証言)5節

(使徒達の働き内容)6節

(国王ヘロデの当惑)7〜9節

(使徒達の活動報告)10a節

(私の感想)
国王ヘロデは、神の栄光の一部を現しているイエスを、神なしの立場で判断しようとしているので、当惑するのが自然だ。
わたし自身が当惑しながら聖書を読んでいたような気がする。
イエスの 「言葉による不思議の実現」 を直接見た人々は、一様に驚いており、 「信仰の目」 を通してそれを見た人々は  「神をあがめ喜んでいる」 のだ。
私は 「信仰の耳」 を通して聞く者でありたい。







2007/03/11 20:27:19|聖書
お嬢さんは死にました
一人の娘を死から帰還させる記事だ。
私は、この所から何を学んだら良いのか、何を考えたらよいのか、途方に暮れてしまう。
概要の羅列になりそうだ。
ルカによる福音書8章です。

(群衆の出迎え→喜んだ)40節

(会堂管理者ヤイロの願い→家まで来て欲しい。娘が死にかけていますから。)41〜42節

(長血の女の記事)43〜48節

(会堂管理者の家からの使い→ヤイロ様、お嬢さんは死にました)49節

(入室前のイエスの指示→ヤイロよ、恐れないで、ただ信じなさい。)50節

(イエスと許された者の入室)51節

(入室後のイエスの指示→泣かなくてもよい。)52節

(室内にいた人々の反応→あざ笑い)53節

(イエスの命令と娘の回復)54〜55節
しかしイエスは、娘の手を取って、叫んで言われた。「子どもよ。起きなさい。
すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。それでイエスは、娘に食事をさせるように言いつけられた。

(両親の驚きとイエスの命令→誰にも話すな)56節

(私の感想)
私は、祖父、私の両親、家内の両親、実兄、それぞれの死と、多くの方々の告別の時を見てきたが、ただ、静かに祈るばかりで、傍目には呆然とたたずむ姿しか映らなかっただろう。
この記事は、全く逆だ。
イエスが、娘が寝ているところまで来て、娘の現状を診てくだされば、必ず娘を助けてくださると信じていたのに、死の報告を聞き落胆しそうになった。
しかし、ヤイロは 「ただ信じなさい。」 と励ましを受け、自分の思いをイエスに委ねることができた。
こうして、イエスの命令の言葉と共に、死からの帰還を見たのだ。

ここで、不思議な表現に出会う。
娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。」とある。
聖書記者が伝えたかったのは何だろうか。

もうひとつ
ヤイロの信仰は、 「娘が生きているときにイエスが診てくだされば」 であったが、 「自分の思いをイエスに委ねる」 信仰へと高めて頂いている。
ここで 「長血をわずらった女」 の行動は、ヤイロにとってどのように映っていただろうか。
イエスは、この信仰をヤイロに与えたいがために、 「娘が死にかけて」 いるのに 「長血をわずらった女」 の行動をゆるし、時刻を遅らせて、 「お嬢さんは死にました」 との報告を待ったのだろうか。
全てを知り、全てを支配されるお方だから、そうしたのかもしれない。
(あなたなら、どう思いますか。)







2007/03/10 22:26:18|聖書
心のうごき
この部分は会堂管理者の娘が、死んでからイエスによって回復したという記事の途中に、長血をわずらった女が癒される記事が挟まっていて、珍しい部分だ。
これについて私は、伝道活動の多忙さとイエスの人気の高さがよく出ていると感じる程度なので、別々の記事として扱う。
まず、「長血をわずらった女」の記事に注目してみる。
ルカによる福音書8章です。

(長血の女の行動)43〜44節
ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。

(私の観察)
43節に関して「だれにも直してもらえなかった」女は、治してくれそうな人物に診てもらって治療も受けたが、お金だけ取られて治らなかった可哀想な女という説明を聞いたことがある。
この説明の真偽は別問題とするが、女は治りたかった。
女は目立ちたくなかったので、後ろから黙って近づいた。
女は、イエスの噂をいろいろ聞いており、着物のふさにでもさわれば治ると思っていたので、必死で近づいた。
少し厳しい言い方を赦して頂ければ、イエスがどう思おうと自分の病気が治りさえすればよかったので、人をかき分けて近づいたかもしれない。
(この時点の、彼女の内側に働いている霊は、“私”と共通する何かが有ったのではないか。)
そして、目的達成。ところが

(イエスの問いかけ)45〜46節
イエスは、 「わたしにさわったのは、だれですか。」 と言われた。
みな自分ではないと言ったので、ペテロは、 「先生。この大ぜいの人が、ひしめき合って押しているのです。」 と言った。
しかし、イエスは、 「だれかが、わたしにさわったのです。わたしから力が出て行くのを感じたのだから。」 と言われた。

(私の観察)
出血が止まったことに気付きそっと離れようとしたが、目の前のイエスが立ち止まって 「だれかが、わたしにさわった。」 と言う。
他の人もさわっているではないか。
ペテロさんもああ言うではないか。
でも、私もさわった。
イエスの 「力が出て行くのを感じた。」 と言うのを聞くと、 「あぁ!私がさわりました。」 と思ったに違いない。

(女の告白)47〜48節
女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した。
そこで、イエスは彼女に言われた。 「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。

(私の観察)
女は罪責感によって震え、全てを告白した。
叱責を覚悟したのに「安心して行きなさい。」と言われて・・、女の緊張は解け、イエスを見上げたに違いない。
(ここまで来ると、女は“聖霊”の導きにゆだねきっていただろう。)
イエスは人々の病を癒すだけにとどまらず、その人の心が、神を仰ぐように導いておられる。
そして女は、人々に、 「イエスは、私の長血を治して下さった。」 と告げていたのだろう。それが聖書記者の耳にまで届いたかもしれないと言ったら、あなたはどう思いますか。)







2007/03/09 20:03:03|聖書
レギオンに占領された男 4
ならば “私” なる霊は何を望んでいるのか。
“私” なる霊は “聖霊” がもたらす平安と人生の大きな可能性を考慮に入れず、レギオンが男にもたらした困難を、私にもたらす可能性に対して、強い拒否反応を起こす。(ような気がする)
平たくいえば、自己防衛優先反応である。

だが、私の理性は、聖書が要求する 「いつも喜んでいなさい」 に応じられるようになりたいのだ。
少し飛躍するが、 “聖霊” 優先反応が理性の要求するところだ。

この地方の人々は、 “私” と同じ反応をしてしまったようだ。
悪霊を追い出された男は、 “聖霊” 優先反応に転換しているように見えるネ。
私を指導してくださる信仰の先輩にこの文章を読んで欲しい。
ルカによる福音書8章です。

(豚を飼っていた人の反応)34〜37節
飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた。

(出来事を見に来た人々の反応)35節
人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。
人々は恐ろしくなった。

(目撃者たちの行動)36節
目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第を、その人々に知らせた。

(ゲラサ地方の民衆のおびえ)37節
ゲラサ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちのところから離れていただきたいと願った。
そこで、イエスは舟に乗って帰られた。

(いやされた男の行動)38〜39節
そのとき、悪霊を追い出された人が、お供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。
家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」 そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。

(私の気付き事項)
イエスはたった一人の男の霊の苦しみを放置せずに、湖を渡ってきた。
たった一人だが、その一人でも見捨てないで、神の力を行使された。
聖書記者は、罪を自覚することによる苦しみからの開放だけでなく、悪い霊によって直接苦しめられることが有ることを伝えた。

(参考)
*1 レギオン:当時のローマ軍の最大の軍団の呼称と同じで,6000人で編成されていた。







2007/03/08 7:45:15|聖書
レギオンに占領された男 3
悪霊とはどのような存在なのだろうか。
人間の生活に悪い影響を与えるのなら、なぜ人間から離れた世界に即刻封じ込めてしまわないのだろうか。(古いどこかの映画の影響か)

イエスは悪霊の願いを聞き入れ許している。
悪霊にさえ哀れみをかけるとは、何を意味するのだろうか。
“私”の理解を超えることだ。

問題は、その “私” なる霊が “聖霊” とのコミュニケーションを阻害しているかも知れない。
私の中心に “私” が存在していて、イエスの処置に最初から賛同できなかったからだ。
ルカによる福音書8章です。

(悪霊につかれている男の生活)29b節
汚れた霊が何回となくこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。

(悪霊の名前と願い)30〜31節
イエスが、 「何という名か。」 とお尋ねになると、 「レギオン*1です。」 と答えた。悪霊が大ぜい彼にはいっていたからである。
悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。

(豚に入る悪霊と豚の行動)32〜33節
ちょうど、山のそのあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもは、その豚にはいることを許してくださいと願った。
イエスはそれを許された。
悪霊どもは、その人から出て、豚にはいった。
すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖にはいり、おぼれ死んだ。