いらっしゃいませ。ここは、聖書を真面目に勉強したい人たちの交流の場です。 まだ、よちよち歩きですがよろしくお願いします。管理者
 
2007/04/19 15:20:54|聖書
内側は、強奪と邪悪
イエスによるパリサイ人や律法学者に対する批判は、その都度書かれているが、この辺りからは抑え切れないかのように批判が強くなっている。
私の気のせいか。

この批判記事の論述は、37節に始まって54節まで続く。
あまりにも長いので、無理を承知でコマギレにする。
ルカによる福音書 11章です。

(イエスはパリサイ人の家で食卓に着く)37節

(食事前に――手を――洗わないので驚くパリサイ人)38節

(イエスの批判:皿の外側はきよめるが、内側は強奪と邪悪)39節

(イエスの批判:神は身体も心も作られたのを知らないのですか)40節

(内側をきよめなさい。そうすれば、いっさいがきよいものとなる。)41節

(御参考)
41節の うちのものを施しに用いなさい について、私の聖書に次の補足がある。
アラム語 「ダッキー」 を 「ザッキー」 と読み違えたギリシャ語訳と考えられるので、「きよめなさい」と修正して読むほうがよい。

「きよめの洗い」について、私の聖書に次の補足がある。
当時のパリサイ派、エッセネ派で厳守されていた「言い伝え」に属する。

(私が見たイエスの視点)
その人の心の内側にあるものが 「強奪と邪悪」 なら、水や湯を使って丁寧に洗っても、その人の生活は神を愛するものにならないでしょう。
内側に “神の御心” を迎え入れなさい。
そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなりますから。







2007/04/18 8:25:31|聖書
健全に見れば
私が持っている聖書によれば、当時のユダヤ教に 「光」 と 「暗闇」 の概念が普及していたようで、イエスはその概念を用い、弟子たちに、神の国の使信を注意深く聞き、また現すことを求められると書いてある。
そういうわけで、神の国の最大の使信 「ヨナのしるし」 を忘れてはならないのだ。
だから、イエスは繰り返し言っているでしょう。
「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」9章22節
「人の子は、いまに人々の手に渡されます。」9章44節
ルカによる福音書 11章です。

(明かりをつけたら蜀台の上に置きます。 ← 基本思想)33節

(目が健全なら全身も明るい:物事を健全に見れば、あなたの全生活が明かりになります。)34節

(内の光、即ち心を照らす光が暗くなり絶望に陥らないように、気をつけなさい。)35節

(あなたの全生活に暗い部分がないなら、その人生は輝き、既に世の光です。)36節

(私の書き方)
私は、聖書記者と同じ立場ではないのだが、十字架の死とよみがえりの記述が23章と24章に書いてあるのを知っている。
だから、つい それを念頭に置きながら書いている。
しかし、当時の弟子たちや群衆には 「ヨナのしるし」 が何なのか分からない。
話の真意が理解できないままになっている。

(私の感覚)
イエスは、35節の言葉を語りながら、どれほど弟子たちのことをあわれみ、心配していたことだろう。
「あなた方の全生活で、心がが暗くなっていたなら、健全な見方が出来ていない可能性が高いですよ。」 「その時は、今日の話を思い出しなさい。」 と言っているようだ。







2007/04/17 14:45:49|聖書
ヨナのしるし
イエスは、しるしを求める時代の要求に対して、これから起きる十字架の死とよみがえりの事件を 「ヨナのしるし」 として予告している。
そして、イエス御自身を、ソロモンやヨナよりまさった者として話を進めています。
ルカによる福音書 11章です。

(神から来たというしるしを求める時代 : ヨナのしるしだけが与えられる)29〜30節

(ソロモンより、ヨナよりまさったものがいる)31〜32節

(私の確認)
ヨナのしるしとは : ヨナ書1章17節及び同2章10節と関連付けているが、イエスの死と復活を暗示している。

(私の場合)
私の場合は、11/1投稿記事 : 「あなたのためです」 、 11/2投稿記事 : 「フィクション か それとも 真実」 、 11/3投稿記事 : 「キリスト教の爆発的拡大の様子は」 等の経験を経ている。
従って、ヨナの記事を意識することはなかった。
ですから、私はイエスのよみがえりの信仰からはじまって、徐々にではあるが神の存在を意識するようになっていったのです。







2007/04/14 9:04:10|聖書
教育ママの気持ち
イエスは、言葉を話せない霊を追い出した。
続いて、神の足跡を否定しようとする者に対し、「あなたは、私が行なった不思議を見る前より、悪い霊に支配されていませんか。」と警告した。

これらの事を見ていた群衆の中の一人の女が登場する。
教育ママの気持ちを代弁しているようだ。
ルカによる福音書11章です。

(「不思議な力を持つ息子を産み育てた母は幸いです。」と女が叫ぶ)27節

(イエスの指導 : 幸いなのは聞いて守る人)28節

(イエスの指導 : 個人版)
他の人の幸いを見るのではなく、自分が幸いになれるように、神のことばが自分のものになるまでしっかり聞き続けなさい。







2007/04/13 18:16:58|聖書
物事の見方
この部分は簡単に理解できる守備と侵略の関係を述べている様だが、イエスは別の真理を伝えようとしていると思う。

イエスが、言葉を話せない霊を追い出したので、話しができるようになった人が目の前にいるのに、 “神があわれみを注がれた” と喜ばないで、悪霊どもの頭領の力によって、悪い霊を追い出だしているとの 「神の国の否定」 発言を受けて、 「我々霊の力は強いぞ」 とでも言えそうな発言だと、批判しているのかもしれない。

少なくとも、その場に居合わせた人々心の内には、素直な感動と喜びが芽生えたのに、 「悪霊どもの頭領の力」 発言によって、嫌ぁな空気が支配したに違いない。
ルカによる福音書 11章です。

(強い人の守備・もっと強い人の侵略→持ち物は奪われる)21〜22節

(イエスの味方でない者 ⇒ 神の足跡を否定する者
     イエスと共に集めない者 ⇒ 神を信じようとする人の邪魔をする者)23節

(神の不思議を見て、汚れた霊が追い出されたのに、そのままにしていると、もっと悪い霊に支配されてしまう。)24〜26節

(私の暫定的理解)
神のあわれみを見つめ続けない人の心は、この世の霊(自己中心・科学万能・経済至上主義など)によって翻弄され、希望がなく殺伐とした考え方に陥ります。

(私の感想)
私の暫定的理解は、私への警告だろうと感じている。

現代日本の抱えている多くの問題、経済至上主義を初めとして、いじめを含め、自己中心から派生する諸々の精神的疲弊は、本来の人間が指向すべき方向から反れていることが原因だろうと、強く感じているからです。

暫定的理解と書いた理由は、私にわからないがもっと大切な真理が含まれていると思うからです。

ここも先輩の指導を仰がねばならない。