聖書の中に天軍賛歌という有名な部分があります。 いと高きところに、栄光が・・・・ 地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。
ルカによる福音書によれば、2章14節ですが、この部分があまりに有名なために、今日の部分が影を潜めている。
何故分裂を起こすのかという考察は、大きすぎるテーマですから扱いませんが、分裂という言葉が穏やかではないので、チョットだけ補足したい。
最初に誰もが経験することは 「神はおられる」 という聖書の立場と、 「神なぞ思い込みに過ぎない」 という非聖書の立場があります。 ここですでに分裂しています。
聖書の立場でも、 「神が与えてくれた律法を守り抜きたい」 という立場と 「神の恵みの中で生活したい」 という立場とでは、行動パターンが異なるので、遠くかけ離れてしまう。
さて、この部分は、41節のペテロの質問から始まっているので、弟子たちに語られえていると考えられます。 だから、家族が分裂するような兆候が現われても、恐れないでいなさいという事前警告の可能性があります。 ルカによる福音書 12章です。
(わたしは、地に火を投げ込むために来た。)49節 (わたしが受けるバプテスマがある。その完了まで苦しむ。)50節 (地に平和の前に、家族にさえ分裂がある)51〜53節
(私が持つ聖書の補足欄から) 49節、 「火」 : 聖霊の終末的降臨(使徒2章34節を表す)。 すでに教会の時代に、聖霊は審判ときよめを行い始められた。(使徒5章9節・ほか)
50節、 「バプテスマ」 : イエスが 「とこしえの御霊によって神におささげになった」 注ぎの血(ヘブル9章13〜14節)、贖いの死のこと(マルコ10章38、45節)
51〜53節、 地に平和が 「御心にかなう人々に」臨む(ルカ2章4節)前に、ふるい分けときよめの 「火」 による分裂がある。 →(マタイ10章34節の補足欄から) キリストの宣教は、緊迫した空気や迫害、それに死をもたらす。 イエスは 「平和の君」 として来られたが、その語られる言葉は人間社会の内側、家族関係を刺し通す。
(私の思索) イエスの言葉を、私流で表現すれば、人生のY字路です。 Y字路に示された案内通りに進むのか、案内を拒否して自分の好む道を選択するのか、絶えず、分離・分裂が起きる可能性があります。それでも、分裂後に合流・合体する可能性だってあるからね。
(私の感想) わたしは、じっくり考えて見るのだが、消化不良状態のようだ。 理解しているつもりだが、なんとなく曖昧だ。 「火」 と 「バプテスマ」 と 分裂の問題について統合して把握できない。
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