万年諭先生のお話から
1)分からない たまたま先週の久保先生と同じ聖書箇所を選んでしまいました。 憐れみをいただきながら共に学んでみましょう。 この箇所はイエスの最初の奇跡ですが、何故この奇跡を行なったのでしょうか。 それは、私にはわからないということです。何故この町を選び、この婚礼を選び、また水をぶどう酒に変えたのか、私たちの理解を超えたことをなさいました。 私の人生も数限りなく、何で、何での連続です。考えても考えても分かりません。 しかし、納得いかなかったとしても、あなたは私の主であり神(ヨハネ20章28節)です。
2)神の計画 次にこの奇跡を起して一番嬉しく、また一番感動したのは誰でしょうか。それはここには出席しない、またこの奇跡を覚えておられた父なる神様なのではないでしょうか。 喜んだのはここに出席していた人でもなく、手伝いの人でもないのです。 何故ならイエスは、全ての人の罪を、十字架にかかって贖うために死んで、三日目によみがえり、救い主として来られる神の子キリストなのだという証しとしての、最初の奇跡を行なったのです。 父なる神の計画は、一人子イエスを、この地上に、人として遣わし、贖い主としての生涯をスタートさせる事なのです。
3)神様の喜び 父なる神様がこの奇跡を喜んだ理由は、私たちとの関係を回復する第一歩だったからなのです。 どうやっても人は神様に近づく事ができなかったのに、イエス様が十字架の新しい道を設けて下さいましたが、その為の最初の公生涯の奇跡だったから、神が一番嬉しかったのです。 主の公生涯は、苦しみと悲しみ、十字架の死があるけれども、私たちと1つとなって生きるために、神が設けられた道なのです。神様の喜びは、私たちと和解をすることなのです。
4)幸いな人々 神と人との和解の時が、一人子イエスによって、間もなく訪れる最初の奇跡でした。 この奇跡を行ったイエス様を 「私の主、私の神」 として、信じて歩む人々は何と幸いな事でしょう。 ハレルヤ。 ヨハネ2章1〜11節 文責 H&K
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