栃木市でもパートナーシップ宣誓制度ができました。 県内では鹿沼に続き2例目だそうです。 全国でも57番目?だったか、かなり早い段階で成立しましたね。
法的な効力はほぼないようです。 配偶者や他にパートナーがいないことを条件にしているようです。 同性のカップルのための制度です。
鹿沼では、一組のカップルが成立したようです。 栃木市では、過去3〜4年の間に4件程度、相談があったようです。 相談件数はそれほど多くないと思いますが、栃木市は動きましたね。
超保守的な土地柄ではありますが、 思うに、 男子校や女子校の存在が同性の恋人作りを涵養してきたからでしょうか、 違和感がありません。
私も男子校に通いましたが、 今思えば、男子同士で付き合ってたと思しき例がありました。 30年近く前の話ではありますが。
私もある意味では、性的マイノリティーかもしれません。 しかし、LGBTについて調べていくと、果たして性的にマジョリティーであると いえるような人がいるのかどうか、怪しくなってきます。
大多数の人がある意味で少数者に属する気がしています。 調べれば調べるほど、性的アイデンティティは揺らいでくるし、 実際、少しだけ揺らいでいる気がしています。
私の考えでは、男性性も女性性も、ある種の社会性であるため、 その社会性を獲得することには、失敗することがあると考えています。 私の場合、男性性も女性性もうまく獲得できていません。
それでも何らかの性であるならば、 それは、とりあえずエックスであるとして、 エックスジェンダーというのがふさわしいのかもしれません。
まあ、男性性も女性性もある種の「規格」に過ぎず 事実から始まっていないのですから、ある種の「天動説」なのです。
天動説が間違っているのと同様に、男性規格と女性規格の二元論も 十分に事態を説明しうる理論ではないわけです。
やはり、 「標準」が好きな工業化社会での虚偽の規範意識でしかないのでしょう。
もちろん、私の場合、オスとメスでいうと、オスでしかないわけで、 そこから推定して男性であるとされるわけですが、 私は、男性社会に関してそれほど強く帰属意識を持っていません。 もちろん、女性社会に関しても帰属意識を持っていません。
一見、孤立しているようにも聞こえますが、 それでも孤立しているわけではありません。 社会的性が男性でなくても女性でなくても、はっきり言って困りません。
もはや社会的性についてはその区別すら正当性が疑われる事態です。 したがって、性別役割分業などという言葉すら不確かな観念にすぎません。
だいたい、男性の規格化への圧力(普通であることの強制)のほうが、 女性のそれよりもずっと強いのです。
私は、既存の男性規格に自分を合わせることはやめました。 合わせることがほぼ無理なので。
もっと適当に、いい加減に生きていきます。 では、よろしく。 |