今月は、大変だった。 5月の末に重めの仕事が終わったのだが、 その後、しばらく体調が悪く、 したがって、6月の上旬はほとんどなにもできない状態だった。
良き習慣が外れてしまったので、 それを戻すことも必要である。 しかし、なかなか習慣を戻すことができなかった。
そのかわり、新しい習慣を始めた。
朝、起きたら、スクワットをすることにした。 夜寝る前にもスクワットをすることにした。 ストレッチをするのが理想だが、なかなか習慣になりづらい。
モーニングページを始めた。 朝っぱらに原稿用紙5枚に文章を書く 2000文字だ。 2000文字を書くのに、30分だけ割り当てる。
30分ということは1800秒ということである。 したがって、一秒で一文字書くのでは達成できない。
考えたことをそのまま書くしかない。 つまり、考えたことをそのまま文章にする練習になる。
美しい文章にはならない。 簡潔な文章にもならない。 冗長な文章になるし訂正も悪い。 漢字も間違っている。 消ゴムも使っている暇はない。 訂正は二重線である。
なにしろ30分間で2000文字を埋めることだけが 目的であり唯一のミッションなので なりふり構わないのである。
これは訓練ではない。 脳のデトックスである。 余計な雑念に形を与えて、追い出すのだ。
だから、ある意味で、書く瞑想である。
この事によって、 文章を書くこととについての抵抗感がなくなり 脳の創造性を取り戻すことができる。
確かに、文章としての品質は悪いが、 書く内容事態はごみ同然ではない。
なにか光るものも混じっている。 用は玉石混淆だ。 それでいい。
今後はテーマだけを決めて、書くことにする。 内容は何でも構わない。 見せることを前提としていないので 恥ずかしいことややましいこともかける。
そして、そうした文章を書くのに抵抗感がなくなれば 目的の小説を書くことに行き着くのではないか。
例えば、50ページの小説を書くのに 5ページづつ書くことができたなら 10日しかかからない。 一日に10枚の原稿用紙を書くことにしたら 5日しかかからない。
20000文字の短編作品を 一週間もあれば完成させることができる。
もちろん、一枚一枚が、一定の品質を保っている必要があるのは 当然である。
それができないから、一週間では書けない。
もちろん、推敲を重ねて、 品質をあげてしまうことにすれば 原稿用紙50枚の短編小説を書くことは 実現可能だろう。
例えば、1ヶ月ぐらいかけて 短編小説を書いてみてもいいかもしれない。
そんな風に思えてきた。
ではまた。
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