花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/03/21 9:27:29|その他
正造翁の嫁さん

 2012年11月21日、里便り再掲。
 
 田中正造翁が一目惚れした
カツ夫人、当時15歳、嫁入りの
習俗にしたがって歯を黒く(オハグロ)
染めました。


 足利に嫁いだ正造の妹リンさんの孫が
田中家に使いに行き、カツ伯母さんの
お歯黒を見ています。

 背のすらりとした目元涼しい、
近所で評判の美人、いつ行っても
家に居ない正造おじさんが惚れるのも
無理はナイ!デシタ。

 正造翁、父死すの知らせで
心配していた葬儀料、カツ夫人が
一切合財賄いました。喝







2021/03/20 8:15:09|その他
筆占い

 2012年5月10か、里便り再掲。

 田中正造翁が書く、正造の造の
シンニュウ(之)は、美しく、勢いと
味があります。

 田中正造遺墨展(佐野市)で観た
正造の造のシンニュウは、そのまま長く
ハシッテいました。

 生家にある「愛」の正造、造の
シンニュウは、穏やかで、上に
向かっています。

 文は人なり、書は人を表す。
正造翁死して、百年後の今は?

今年(2021年)は生誕180年です。喝







2021/03/19 9:39:25|その他
谷中村から
 明治37年(1904)谷中村に
移り住んだ田中正造(64歳)
言行録、村の印象5項目は。(島田氏)
 
 一、谷中村民が堤防の復旧を
要求するのは、母に乳を
求める赤ん坊と同じである。
 理解を示しています。
 
 二、三、四、五は、村民の翁に
対する対応、これを田中正造が
どう受け止めたか。
 
 島田氏はこれについて、カッコ付きで、
(残留民の態度は決して良いとは言えず、
また、翁も、残留民の心情を十分理解できない
ために、誤解もあった。)
           喝
 
 3月14日、未投稿、うっかりしていました。喝
 
 







2021/03/19 8:55:40|その他
ユ〜モア?! 田中正造翁

 2012年3月21日、里便り再掲。
 
 正造翁が来ると、どの家でも、
翁を風呂場に案内し、脱いだ着物を
大釜で煮て、カラの財布を見つけては、
カンパしました。

 正造翁が湯に入った後、シラミが、
一杯浮いていた!支援者の家族から、
この話は、聞いていたけどー。

 ところがシラミの話、自他共に
認められていました。シラミは正造翁の
トレードマーク、ユーモア正造のシンボル!?。

 確か、にシラミは、愛嬌のある顔を
していると子供のころ、思ったけどー。
ウーン、ナンカこうムズガユクなってきた!
正造翁ユーモアの旅へ!マタオイデ。喝







2021/03/18 9:25:24|その他
谷中に学ぶ
  正造翁言行録、
五、鉱毒被害地の中で、一番話の
分からないのは谷中村の人達で
あった。
 
 そして、その谷中村の中で、
一番、話の分からないのが、
今の残留民である。
 
 (筆者、島田宗三、注=「話しが
分からない」とは「指示道り動かない」
「やる気がない」意味で〜)
「双方に誤解があった」(島田氏)
 
 谷中村を守ってやる、助けてやる、
上からの目線が平行?になり、谷中に
学ぶ姿勢に転じたのは、先の話です。喝