花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/04/10 10:02:41|その他
正造翁の漢字 諂諛 


 田中正造全集所収の月報7、
「正造馬鹿」安丸良夫氏寄稿に、
この字「諂諛」が〜
 
 大隈の周囲には官途を望む「諂諛」の
ものばかり集まっている云々。

 「正造馬鹿」の話は、閑話休題。

 「諂諛」まず、読めますか。
「忖度」と、ナニやら雰囲気が
似ています。それは分かります。

 忖度は人口に膾炙したけど〜
諂諛は〜? (注)、てんゆ、と
読みます。意味は、阿諛(アユ) お追従。
                喝







2021/04/09 9:42:00|その他
田中霊祠 歌碑寄進
 田中霊祠、正造翁の歌碑は、
栃木県議会の議長を務めた
高際徳治氏の寄進(昭和35年)。
 
 世をいとひ〜貴重な一首の撰定、
後世に遺されたこと、敬意と感謝を
表します。
 
 世をいとひ〜の歌、正造全集日記、
明治31年(1898.9.25日)蔵の街
図書館でコピー貰いました。
 
 此日雲竜寺ニ集まるもの凡ソ一万人と
云ふ。此雲竜寺を出て川俣ニ至るもの
五千人、夜舟を渡るもの三千人〜喝
 
 
 
 







2021/04/08 9:21:33|その他
田中霊祠歌碑
世をいとひ
そしりをいみて
何かせん
身をすてヽこそ
たのしかりけれ
(田中霊祠歌碑)
 
「不人気な大義をあくまで撤回せず、
それゆえに忍ばねばならなくなった
孤立を敢然と受けとめた歌である。」
 
「文章引用」田中正造伝、ケネス・
ストロング著〜嵐に立ち向かう雄牛〜
 
 実は、この歌碑の一首が貴重なのは
「なぜ田中正造が国会議員を辞めて直訴に
奔ったのか」に繋がるこころを示唆している
からです。喝
 
 







2021/04/07 13:00:14|その他
田中霊祠  翁の歌碑
 今年は、田中正造生誕百八十年、
直訴百二十年、四月はコロナ禍で
中止になったけど田中霊祠祭が〜
 
 2013年にお便りした霊祠祭を
読み返していると、正造翁の歌碑の
話はあるのに、歌が書かれていない。
歌碑の存在まで怪しくなってきた。

 運転免許証は返納、仕方なく
電話で?「アレ、あったけかな」
「なかったよ」(ホント?)
 
 ようやく、蔵の街観光振興課で
正造翁の歌碑「アリマスヨ」
ヤレうれしや、歌碑には貴重な
一首が〜喝
 
 
 







2021/04/06 14:41:27|その他
忘却の彼方 正造翁、歌の一首
 2013年3月、里便りです。
 
  渡良瀬遊水地のヨシ焼きに
合わせて、田中霊祠を案内して
貰いました。
 
  田中正造を祀った霊祠は、
旧谷中村を望む渡良瀬河畔に
ありました。
 
  そこで、ハプニング?が!正造翁の
歌碑の説明をする虎の巻を案内の人が
忘れてしまったのです。
 
宝の山に入りながら、指をくわえて、
碑面を眺めていました。(2013年3月19日)
 
  田中霊祠、歌碑の一首、正造全集に
よると、明治31年9月(1898)正造翁が、
知人に宛てたハガキに、したためられて
います。
 
  この年、田中正造、58歳、国会議員、
渡良瀬川の足尾鉱山鉱毒垂れ流し事件で、
国に操業停止措置を講ずるよう強く求めて
いました。
 
  歌の意味は、他人の評判を気にしていては、
何も出来ない、我が身を捨てて、取り組めば、
問題解決の道は開ける。
 
  晩年を反公害闘争に捧げ、辛酸亦入佳境の
境地に達した正造翁の決意表明が、色濃く
滲み出ている一首です。(2013年3月21日)
 
 忘却の一首を求めて確認取材中です。喝