2013年3月、里便りです。 渡良瀬遊水地のヨシ焼きに 合わせて、田中霊祠を案内して 貰いました。 田中正造を祀った霊祠は、 旧谷中村を望む渡良瀬河畔に ありました。 そこで、ハプニング?が!正造翁の 歌碑の説明をする虎の巻を案内の人が 忘れてしまったのです。 宝の山に入りながら、指をくわえて、 碑面を眺めていました。(2013年3月19日) 田中霊祠、歌碑の一首、正造全集に よると、明治31年9月(1898)正造翁が、 知人に宛てたハガキに、したためられて います。 この年、田中正造、58歳、国会議員、 渡良瀬川の足尾鉱山鉱毒垂れ流し事件で、 国に操業停止措置を講ずるよう強く求めて いました。 歌の意味は、他人の評判を気にしていては、 何も出来ない、我が身を捨てて、取り組めば、 問題解決の道は開ける。 晩年を反公害闘争に捧げ、辛酸亦入佳境の 境地に達した正造翁の決意表明が、色濃く 滲み出ている一首です。(2013年3月21日) 忘却の一首を求めて確認取材中です。喝 |