花ど真ん中の里便り
栃木県は日本の花ど真ん中です。
プロフィール
■ID
hanadomannaka
■自己紹介
生涯一記者
■趣味
囲碁。山野草。ハーブ。温泉。
メッセージ
メールにてメッセージを送ります。
(メールフォームへ)
カレンダー
<--
2026 / 8
-->
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
⇒今月
カテゴリー
・田中一村(2)
・役場の家計簿(0)
・山本有三(2)
・弓削道鏡(0)
・英内親王(0)
・田中正造(0)
・指定管理者(0)
・蔵の街選挙(18)
・拝啓 栃木市長様(2)
・蔵の街 アマテラス(38)
・週末花屋さん(3)
・お知らせ(1)
・私酒(20)
・車と暮らし(17)
・晃石山(テルイシサン)(1)
・報酬の上と下(6)
・蔵の街土砂条例(24)
・郷土の話題(2)
・役場のこころ(0)
・鉛筆一本渡世人(0)
・囲碁(2)
・新聞記者(3)
・自然 植物(2)
・ペット(2)
・健康(0)
・グルメ(1)
・こころの花(1)
・李下に冠を正さず(0)
・考察 蔵の街(0)
・蔵の街 新斎場(0)
・情報公開制度の危機(0)
・マイ ラグビー(0)
・メグスリの木(0)
・公約 給食費無料化の行方(0)
・その他(3667)
コンテンツ
・
ヘソ隠シ(8/10)
・
日本古来の伝統着(8/9)
・
その時(8/8)
・
花ど真ん中のヘソ(8/7)
・
真夏の雪辱(8/6)
・
ブドウのかほり(8/5)
(一覧へ)
検索
コメント
コメントする
リンク
・
山野草「七草の里」
・
花ど真ん中のツイッター
・
太平山のおやじのつぶやき
・
お山の桜
・
軽井沢発地ベリー園の様子
(一覧へ)
携帯アクセス
読者になる
メールアドレスを登録すると、このページの更新情報が届きます。
(登録する)
投票する
このページをランキングに投票できます。
(投票する)
2012/09/20 6:48:50|
その他
読書感想文
福島原発事故前に出版された
田原総一朗著ドキュメント
東京電力企画室を読んで、
次の文章で目が留まりました。
(原子力を柱とする)エネルギー
自立戦略は、1974年11月26日、
金脈問題で田中首相が失脚したことで
潰えた。(略)アメリカの神経を逆なで
しすぎたためだ。
この時、地方政界で、木村守江
福島県知事が、悪い奴は眠らせない!
国と地方のトップが追い詰められました。
福島原発事故が起きてしまった今、
原発の怖さや原発立県汚職事件の本質に
迫れなかった悔しさ!われら何を伝えたか?
慙愧の一言、悔いが残ります。デハ。
コメントする
2012/09/19 6:31:26|
その他
二つの?
田中正造の歌を眺めていると、
「アレー?」??が二つ、見え
隠れしてきました。
一つ目の?は、大雨の牛で紹介した
西行の八代前の祖先が、藤原秀郷、
下野に居住し、伝説が残っています。
正造、西行、秀郷(俵藤太)3人の
関係は?
二つ目の?は、雪よ積もれかし
踏みたて蹴立て行かなんーの着想、
少年のころ「憂きことのなをこの上に
積もれかし限りある身の力ためさん」
よく、口にしました。
詠んだのは、陽明学者熊沢蕃山、
渡良瀬遊水地で蕃山堤を知りました。
モシカシタラ?まだ、夢の中です。デハ。
コメントする
2012/09/18 6:44:39|
その他
無の挑戦
足尾鉱毒事件の解決に
晩年を捧げた田中正造が
静と動の歌2首を繰り返し
詠み直していました。
歌は静が、
大雨にうちたゝかれて牛のひく
車の輪立跡形もなし 正造
動は、
ふる雪よやみかたなくばつもれかし
我ハ踏ミたて蹴立て行かなん 正造
「西行」の著者、高橋英夫氏が
西行を評した言葉を借りると、
田中正造は「執着する人間だった」
田中正造記念館ブックレットで
布川了氏が、正造、谷中に入る歌
2首として、紹介しています。デハ。
コメントする
2012/09/17 6:41:12|
その他
ライフソング
そのためかどうかはわからないがー、
田中正造歌の原点を、熊本大学の
小松裕教授が、説明しています。
そのためとは、正造生家の裏に、
柿本人麻呂ゆかりの神社があり、正造が
昔から、和歌が盛んな土地に育ったためです。
そして小松教授は,よく知られている
たのしまばふとんもかやもあるものか
のみかにまでも身をばささげて 正造
この歌を紹介しています。
この歌は「辛酸亦入佳境」の心境を本人が
詠んだつもりでも、解釈がイロイロ分かれました。
このため、正造が繰り返し詠み直しています。
実は、繰り返し詠まれたのは、大雨にたたかれた
牛の歌です。正造悟りに到る軌跡、車の轍です。デハ。
コメントする
2012/09/16 6:43:32|
その他
跡形もなしのアト
田中正造は、大雨にうたれ
車を曳く牛に我が身を重ね、
歌の定型を背後に、その生き様を
詠い続けました。
明治32年(1900)ごろ、
川俣久平に宛てた手紙で、自分の
和歌を講釈しています。
「我々は只荷物を運ぶ牛の
如く、骨を折っても、雨の日の
車の輪立ち、跡形もなしだ」
但し天ハ必ず此牛ニ組みせる事と
奉存候。右御答。 西行が泡と消えた
舟の航跡、無の境地、欣求浄土の浄土を
見る思いを正造も感じています。デハ。
参考文献、前日に同じ。
コメントする
<< 前の5件
[
2491
-
2495
件 /
3814
件中 ]
次の5件 >>
<< 最新の記事へ >>
[
easy my webトップ
|
HOME
|
▲ページ上部へ
]
[
easy my web
]
COPYRIGHT © 2006-2012 Cable TV Co.,LTD. all rights reserved. ALL RIGHTS RESERVED.
Powered by
Loyal Planning Co.Ltd.
&
TriQ Association Inc.