花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2020/09/12 10:03:48|その他
正造翁と富士山
「ふじの山ニ登る人ハ
頂上ニハ何かあるならんと
おもふて登ハ皆凡人の常なり」

  明治37年(1904)正造翁が
黒澤酉蔵宛書簡の一節。
正造翁の思想形成を解く
カギです。

  大ぞらで
みたら社会ハ
面白の
ふじの高根も
ゆきのだるまも 
 全集I336

2013年6月26日、里便り、再編集。







2020/09/10 9:19:28|その他
正造記念館へ寄託
 栃木県郵便史、おカネで買えない
貴重な本、著者の塚田保美氏から
一冊頂きました。
 
 個人の手元に置くよりは〜
「足尾鉱毒事件田中正造記念館」
(群馬県館林市)に寄託しました。喝

  2012年里便り。
 







2020/09/09 10:05:30|その他
栃木県郵便史
 

 「栃木県郵便史」塚田保美著、
地元の図書館が県立図書館から
借りてくれました。

 田中正造サンが生きた当時の
郵便事情を髣髴とさせる資料が
詰まっています。

  一方、田中正造翁資料によれば
正造サンが出した書簡、発表された分
5200通、主にハガキは、彼の全集14巻から
19巻までの書簡集合わせて6巻に収められ、
投函先は1200人に及んでいます。

 2012年に発信した正造翁の
手紙運動関連、里便り、再編集、再掲
続けます。喝







2020/09/08 9:00:55|その他
幻のポスト

 街角にあった円筒形の
赤い郵便ポスト、今、あまり
見かけません。2012年8月2日、再掲。

 子供のころ、頼まれた手紙を
ポストに入れると中でコトン、
音がしました。

 郵便ポストが、登場したのが
明治41年1908年、そのころ、
谷中村は強制廃村で揺れていました。

 村に赤いポストが設置されたか、
田中正造サンが、赤いポストに
手紙を入れたか、それが問題。
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2020/09/07 14:01:15|その他
手紙運動

 2012年、平成24年は
田中正造翁の手紙を発信
しています。
 
  田中正造サンが、藤岡町の
縁故者に書き送ったハガキ44点、
地元の資料館に寄託されています。

 ハガキの文面は、谷中村買収
反対運動のアドバイス、末尾にある
発信元は、東京、埼玉、群馬、茨城etc。

 正造翁が生前、書いたハガキを
百年たった今、手にとって見る、
これは驚きです。喝