花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2020/10/30 16:08:50|その他
アユと田中正造
 渡良瀬川のアユ大量死。
1878年(明治11)
その時、田中正造(38歳)は?
 
 田畑転売、3000円余り
利益得。それを資金に
政治に専念を決意。
 
 1885年(明治18)もアユ大量死!
その時、田中正造(45歳)は?
 
 前年、加波山事件連累者として
警察に逮捕される。その後、釈放。
新年早々は出獄歓迎会に出席。喝
 
 引用、田中正造年譜。
 







2020/10/29 12:04:26|その他
世紀の特ダネ
 なぜ議員を辞職して直訴に
至ったのか、田中正造年譜と
足尾銅山鉱毒事件の関係を調べて
います。
 
 年譜は10年余り前、蔵の街図書館で
コピーし、今、役立っています。
 
 足尾鉱毒事件を最初に報じたのが
下野新聞、その下野新聞の前身、
栃木新聞で田中正造が編集長〜
 
 「正造さん、なぜ?ナンですか」
生涯一記者、田中正造年譜を目で
追っています。喝
 

 







2020/10/28 9:19:04|その他
足尾銅山鉱毒事件
 足尾山塊渓谷を源に
栃木群馬県境を太平洋に
向けて流れる渡良瀬川で
大量のアユが死んで
浮き上がりました。
 
 1878年と1885年のこと。
足尾鉱毒事件表面化の
瞬間です。
 
 栃木県の下野新聞が、山の
立ち木も枯れていると合わせて
伝え、この事件が、公害の原点と
言われます。
 
 足尾銅山鉱毒事件の解決に
命がけで取組んだ田中正造の
この事件へのかかわりは〜。喝
 
 
 
 







2020/10/27 14:59:32|その他
なぜ国会議員を辞めるのか
「今日の御辞任は鉱毒事件の
為二利益あるを見ず」
(明治34年10月23日)
 
「今朝電報差上げましたのも、
実ㇵ思止まって戴きたい為でした」
 
 田中正造全集、関係者書簡カッコ内
文章、繰り返し見ています。
 
 田中正造議員辞職は背景に、
鉱毒被害者救済活動を巡る問題が〜
浮かんできます。喝
 







2020/10/26 12:10:06|その他
議員辞職から直訴へ
「此時此際、代議士御辞任は
或は千慮の一失にあらぬ乎」
 
「今老台が代議士辞任になるのは、
例えば猶ほ戦場より一歩を退くもの〜」
 
「今日代議士御辞職の必要は断じて
ない」
 
 田中正造、明治34年10月23日
議員辞職願提出、田中正造全集、
関係者書簡引用しました。喝