花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2020/11/04 14:54:46|その他
不撓不屈
 
 下野の国出身の田中正造は
3回、山本有三は1回それぞれ
獄中暮らしを経験しています。
 
 田中正造は、獄中で生命の危険に
さらされながら、取り乱すことなく、
読書、思索に耽り、自らを生長させ
ました。
 
 選挙の神様と称され、連続当選を
誇った田中正造が、なぜ議員を辞め、
直訴に〜何故に?
 
 田中正造の名誉にかけて言えば、
獄中暮らしは、不当逮捕!冤罪、デッチアゲ!
反骨精神のなせる業!喝
 
 

 
 







2020/11/03 13:41:06|その他
選挙の神様獄中暮らし
 1878年(明治11)田中正造38歳。
今でいう、町村会議員に選ばれる。
翌年、栃木県議選で次点落選、
 
 1880年(明治13)補欠選挙で県議、
初当選、以後、県議連続4回、衆院議員
連続6回当選。
 
 1884年(明治17)田中正造44歳。
時の鬼県令三島通庸の圧政に反対、
反政府運動加波山事件に関連したと
疑われ、獄中暮らしを。
 
 なぜ議員を辞めて直訴に至ったか、
前半のポイントチックが、辛酸亦入佳境の
境地です。喝
 







2020/11/02 11:52:06|その他
田中正造と足尾銅山
 1878年(明治11)田中正造、
政治家専念決意表明、翌々年
1880年(明治13)補欠選挙で
栃木県議に初当選。
 
 その同じ年に、足尾銅山は
古河(フルカワ)の商標で
鉱業専業を宣言。
 
 1881年(明治14)足尾銅山で
有望な鉱脈発見,古河好転に向かい、
足尾産銅量、発展、日本一に。
 
 1885年(明治18)渡良瀬川で
アユ大量死。
 
 1886年、田中正造、県議会議長。
この年、足尾銅山と日光、宇都宮
それに東京を結ぶ日本初の民間電話が
誕生しています。喝
 







2020/11/01 10:51:35|その他
生涯一記者
 田中正造と足尾銅山鉱毒事件
関連年表、なぜ議員を辞めて
直訴に至ったか?今日も何故です。
 
 何故を解くポイントは、二つ。
一つは、正造が、田畑を転売して
得た金で政治家専念を誓った
1878年(明治11)から1891年、
第2回帝国議会、田中正造、
足尾鉱毒事件初質問まで。
 
 もう一つのポイントが、
1901年10月23日の議員辞職から
同年12月10日の直訴まで。この間の
記録、出来事の精査。
 
 なぜ、直訴に至ったのか?
関連表記録の行間に、田中正造が
浮かび上がれば〜期待します。喝
 
 
 







2020/10/31 12:34:38|その他
念ずれば花開く
 田中正造と足尾銅山鉱毒事件、
関連年表、資料を入手しました。
 
 田中正造全集と年譜を
つき合わせていた、なぜ議員を
辞めて直訴に至ったか?
 
 諸先輩が遺してくれた貴重な
データ、課題解決のスピードアップに
ツナガリます。
 
 問題は年表が伝える事実の行間に
正造翁のこころ。ヨミトレルカ、
浮かんでくるか!?喝