花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/04/08 9:21:33|その他
田中霊祠歌碑
世をいとひ
そしりをいみて
何かせん
身をすてヽこそ
たのしかりけれ
(田中霊祠歌碑)
 
「不人気な大義をあくまで撤回せず、
それゆえに忍ばねばならなくなった
孤立を敢然と受けとめた歌である。」
 
「文章引用」田中正造伝、ケネス・
ストロング著〜嵐に立ち向かう雄牛〜
 
 実は、この歌碑の一首が貴重なのは
「なぜ田中正造が国会議員を辞めて直訴に
奔ったのか」に繋がるこころを示唆している
からです。喝
 
 







2021/04/07 13:00:14|その他
田中霊祠  翁の歌碑
 今年は、田中正造生誕百八十年、
直訴百二十年、四月はコロナ禍で
中止になったけど田中霊祠祭が〜
 
 2013年にお便りした霊祠祭を
読み返していると、正造翁の歌碑の
話はあるのに、歌が書かれていない。
歌碑の存在まで怪しくなってきた。

 運転免許証は返納、仕方なく
電話で?「アレ、あったけかな」
「なかったよ」(ホント?)
 
 ようやく、蔵の街観光振興課で
正造翁の歌碑「アリマスヨ」
ヤレうれしや、歌碑には貴重な
一首が〜喝
 
 
 







2021/04/06 14:41:27|その他
忘却の彼方 正造翁、歌の一首
 2013年3月、里便りです。
 
  渡良瀬遊水地のヨシ焼きに
合わせて、田中霊祠を案内して
貰いました。
 
  田中正造を祀った霊祠は、
旧谷中村を望む渡良瀬河畔に
ありました。
 
  そこで、ハプニング?が!正造翁の
歌碑の説明をする虎の巻を案内の人が
忘れてしまったのです。
 
宝の山に入りながら、指をくわえて、
碑面を眺めていました。(2013年3月19日)
 
  田中霊祠、歌碑の一首、正造全集に
よると、明治31年9月(1898)正造翁が、
知人に宛てたハガキに、したためられて
います。
 
  この年、田中正造、58歳、国会議員、
渡良瀬川の足尾鉱山鉱毒垂れ流し事件で、
国に操業停止措置を講ずるよう強く求めて
いました。
 
  歌の意味は、他人の評判を気にしていては、
何も出来ない、我が身を捨てて、取り組めば、
問題解決の道は開ける。
 
  晩年を反公害闘争に捧げ、辛酸亦入佳境の
境地に達した正造翁の決意表明が、色濃く
滲み出ている一首です。(2013年3月21日)
 
 忘却の一首を求めて確認取材中です。喝
 
 







2021/04/05 9:17:37|その他
直訴状 聖明矜察�H
 臣年六十一而シテ老病日ニ迫ル。
念フニ余命幾クモナシ。唯万一ノ報効ヲ
期シテ敢テ一身ヲ以テ利害ヲ計ラズ。故ニ
斧鉞ノ誅ヲ冒シテ以テ聞ス情切ニ事急ニシテ
涕泣言フ所ヲ知ラズ。伏テ望ムラクハ
聖明矜察ヲ垂レ給ハンコトヲ。
臣痛絶呼号ノ至リニ任フルナシ。
 
明治三十四年十二月
草莽ノ微臣田中正造誠恐誠惶頓首頓首
 
「斧鉞ノ誅」
ふえつのちゅう。
斧と鉞、おのとまさかり。重刑。

「聖明矜察」
せいめいきょうさつ。
田中正造翁は、鉱毒問題の
解決をこの四文字に賭けました。喝
 
 







2021/04/05 8:32:56|その他
直訴状 鉱毒停止と生存権
 如此ニシテ数十万生霊[ヲ塗炭ニ→ノ死命ヲ]
救ヒ[+居住相続ノ基ヘヲ回復シ]其人口ノ減耗ヲ
防遏シ、且ツ我日本帝国憲法及ビ法律ヲ正当ニ
実行シテ各其権利ヲ保持セシメ、更ニ将来国家
[−富強]ノ基礎タル無量ノ勢力及ビ富財ノ損失ヲ
[予防→断絶]スルヲ得ベケンナリ。
若シ然ラズシテ長ク毒水ノ横流ニ任セバ臣ハ恐ル
其禍ノ及ブ所将サニ測ル可ラザルモノアランコトヲ。

[+居住相続ノ基ヘヲ回復シ]
其の六、[+加毒ノ鉱業ヲ止メ]
共に正造翁の加筆、これが翁の
直訴です。喝