花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/03/07 10:43:11|その他
逸見猶吉 〜谷中村哀歌〜

  再掲(2012.3.13)

 写真は、詩人、逸見猶吉、本名
大野四郎の実家跡です。

 旧谷中村の役場庁舎を兼ねた
住まいは、足尾鉱毒事件による
強制廃村で破壊され、彼は、避難先の
隣りの茨城県古河市(コガ)で誕生。

 祖父、孫右衛門は初代、父、東一は
二代目村長、村を守る立場から、国や県、
そして村民の間で板ばさみになり、苦悩を
深めていきました。

 谷中村の遺跡を守る会長
針谷不二男さん(当時)は、
裏切り者とか、正義派とか
外部の研究者がレッテルを貼るのは
オカシイ!

 逸見猶吉の詩は、富国、公益に
名を借りた不当な扱い、こころの
痛みを解放する叫びが色濃く滲み
出てます。







2021/03/06 9:05:57|その他
逸見斧吉と猶吉
 里便り(2012.3.25日)再掲。
 
「正造とその時代」「草莽の人」
著者、篠原信雄さんは、病気入院中で、
お会い出来ませんでした。

 実は、谷中村出身の詩人、逸見猶吉の
ペンネームの由来を解くカギが、篠原さんの
「正造とその時代」に隠されています。
(それを確認したかった)

 田中正造には、逸見斧吉と名乗る実在の
支援者がいました。逸見猶吉と逸見斧吉、
ペンネームと実在者。二人は別人。
破滅と復活。

 篠原さんは、その対極をつなぐ「逸見猶吉」
の名にひそむ、暗く深く、あついものを感じる
とき「ソレガドウシタソレデドウシタ」と絶叫する
青年の姿を、遊水地の風景に見るのである。
そう書いています。







2021/03/05 8:54:56|その他
正造サンの手紙〜壮士の見分け方〜
 之を得るの法(壮士の見分け方)ㇵ
人を見ず、其人の仕事を見られよ。
 
 其人の言を聞かずして、其人の
行へを見られよ。
 
 己に悪敷人をも他人との交わりを
見られよ。己れニよき人も他人との
交わりを見られよ。
 
 此くせバ壮士ハ沢山ニ顕れ来り
申候。  明治34年1月20日 東京ニ而  正造
 丈吉様
 







2021/03/04 10:15:16|その他
正造サンの手紙〜壮士論〜
  正造翁が蓼沼丈吉様に宛てた
手紙、明治34年(1901.1.20日)で
壮士ョ、出でよ!
 
  翁によると「誠の壮士ㇵ人ニあらず
主義にニあり、道義ニあり。略
善を好ミ悪を憎むの意思の強き
実行者」
 
  古ヘハ大久保彦左衛門、
番(幡)随院長兵衛等ハ
当世の壮士ナリ。
 
   壮士ハ非常ノ正直、非常ノ
艱難ニ堪へ、常ニ名誉ト財産ヲ
犠牲ニスルモノナリ。
                          喝
 
 
 







2021/03/03 10:22:24|その他
正造サンの手紙〜敵前逃亡?〜
 田中正造、明治34年(1901)
衆議院議員辞職、支持者へ、手紙で
報告。
 
 「誠に慙愧忸怩の至り(略)是より
諸君と共に粉骨粋(碎)身 鉱毒問題の
解決に従事仕度候〜」
 
 支持者の反応、再掲。
「今日の御辞任は鉱毒事件の
為二利益あるを見ず」
(明治34年10月23日)
 
 「今朝電報差上げましたのも、
実ㇵ思止まって戴きたい為でした」
 
「今老台が代議士辞任になるのは、
例えば猶ほ戦場より一歩を退くもの〜」
 
「今日代議士御辞職の必要は断じて
ない」喝