花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2020/12/10 9:25:03|その他
直訴状〜ホンモノ〜
 1901年(明治34)の今日、
田中正造翁(61歳)が天皇の
馬車に近づき、手にしていた
直訴状、今は、佐野市郷土博物館に
あります。
 
 先日、この直訴状の写し、
佐野市郷土博物館から頂き
ました。
 
 直訴状、削除、加筆、訂正箇所の
紅い朱印に翁の真剣な息づかいが。
 
 ホンモノの直訴状の写しに
向き合い、翁のホンネを共有
します。喝
 
 
 
 







2020/12/09 10:41:57|その他
直訴状の悲劇
 悲劇は、直訴状が二通、三種類
あることから生まれました。
 
 報道用に用意された謹奏表から
田中正造が加筆した<加毒ノ鉱業ヲ
止メ><居住相続ノ基ヘヲ回復シ>が
抜け落ちています。
 
 号外!新聞の大珍事直訴報道に
終始し、当時も今も、人々に田中の
真意が伝わらず、直訴の人、固定観念が
定着しています。
 
 来年は、田中正造生誕180年、
鉱毒の人、共生の人、正造翁
真の姿に光を照らして下さい。喝
 







2020/12/08 13:58:12|その他
直訴状 12月10日
 今日は何の日、今月10日に向けて
田中正造翁が直訴状の削除した箇所、
加筆した文章を読み直しています。
 
 「東京ノ北四十里ニシテ足尾銅山アリ。
<近年鉱業上ノ器械洋式ノ発達スルニ
従ヒテ其流毒益々多ク>」
 
 <〜>内は、翁の加筆、現場を踏んだ
もの、話を聞いて書いた起草文、両者の
違いは明らか、迫力の差。
 
 
 そして繰り返しになりますが
<加毒ノ鉱業ヲ止メ>毒水毒屑
流出ヲ根絶スル 其六ナリ。入魂。喝
 
 
 
 







2020/12/07 10:21:42|その他
コロナ禍と田中正造翁B
 「田園荒廃シ数十万ノ人民<ノ中チ>
産ヲ失ヒ<ルアリ>営養ヲ失ヒルアリ、
或ハ業ニ離レ飢テ[泣キ寒ニ叫ビ]
<食ナク病テ薬ナキアリ>」
 
 直訴状に併せて読んでいた
荒畑寒村著「谷中村滅亡史」
 
 あゝ世人冷酷、一人の耳を
翁が痛憤の絶叫に藉すものなく(略)
嘲笑、讒誣、迫害の矢に、
蹌々踉々たる老義人が(略)心情や
如何なりけん。
 
 差別廃止の願い、共生への
誓いが田中正造翁の直訴から
伝わります。喝
 







2020/12/06 10:17:00|その他
コロナ禍と田中正造翁A
 なぜ田中正造が国会議員を辞めて
直訴に至ったか、直訴状にその答えが
あると考え、読みました。
 
 その結果、直訴の人から鉱毒の人へ
印象が変わりました。
 
 そしてコロナ禍の今、直訴状で
見え隠れしていた差別と共生の
闇の中から、共生の人の思いが
見えてきました。
 
 「嗚呼四県ノ地亦陛下ノ一家ニ
アラズヤ。四県ノ民亦陛下ノ赤子ニ
アラズヤ。政府当局ガ陛下ノ地ト人トヲ
把テ如此キノ悲境ニ陥ラシメテ省ミルナキモノ
是レ臣ノ黙止スルコト能ハザル所ナリ」(直訴状)喝