花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2020/12/15 8:39:58|その他
富士山頼み

  正造翁と富士山を結びつけたのは、
彼の幼き日の悩み、記憶力でした。

  当時お正月は、書初めを親戚に配って、
ご褒美を貰うのが慣わし、子供の唯一の
楽しみでした。

 七歳の正造は「何て書いたの?」
聞かれたら「ドウシヨウ!?」
ひとり、悶々としていました。

    エイ!氷を割って、水に飛び込み、
「ナニトゾ、記憶力を増し給え!」
富士に祈りました。利発な妹りんの
存在も大きかったようです。喝







2020/12/14 9:46:57|その他
直訴から辛酸亦入佳境へ
 なぜ田中正造は国会議員を
辞めて、直訴に至ったか。
 
 次に、直訴事件を通過点と
捉え、タイトルのテーマを
選びました。
 
 田中が数多く残した俳句、短歌、
直訴前と直訴後のこころ模様を〜
 
 田中を思想上の師と仰ぐ、詩人で
作家、石牟礼道子のこころの軌跡を〜
出来るならば。喝
 
 







2020/12/13 9:43:17|その他
正造翁 富士に登らず
 
 2013年マイブログ再掲

 富士山を巡り、正造翁が妹りんとの
エピソードを自ら話しています。

「予が獄中に在りし時妹は富士山に
願掛けし(殺人事件の冤罪晴れると)
妹は直ちに予に富士登山を勧め(略)

 予の迷惑頻りナリ(略) 実は、正造翁、
盛岡の獄中で西洋近代思想に触れ、
富士山浅間信仰と手を切っていたからです。

 デハ如何したかというと、翁は
「兼ねて一策を案じ富士参詣は(妹から)
旅費を貰ふて(登らず)東京に遊び書籍を
買ふて帰り」でした。デハ

「参考文献」全集@
小松裕著 田中正造の近代







2020/12/12 14:03:28|その他
正造翁と富士山

 2013年のマイブログ再掲です。
 
「正造翁は、富士山に
登りましたか?」
 
 「そりゃあ、富士講で
登っているよ!」

 「!?」

 「教えて頂ければ幸いです」

 正解は登っていない。喝







2020/12/11 9:18:20|その他
蔵の街乗り合いタクシー
 田中正造翁、直訴未遂?
帰宅許され、安心、公害原点、
世論喚起。
 
 このところ、田中と田中を
思想上の師と仰ぐ石牟礼道子の
著作閲覧、図書館通い、蔵タクの
利用が増えています。
 
 蔵タクは、片道一回400円、
役場や郵便局行きは片道100円。
図書館行きもそうなれば。
 
 閲覧室で、こちらが読みたい本を
若い女性司書が探し出して持って来て
くれます。喝