花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/01/23 11:22:10|その他
鉱毒闘争 最後の砦
 田中正造が、直訴後、谷中村へ
入村するまで、足かけ三年の月日が
流れています。
 
 コピーした田中正造全集と余禄の
二通りの年譜には〜
 
 県内外各地で開かれた鉱毒停止演説会、
鉱毒講演会に登壇。その間、新聞記者や
政治家それに学生らを被災地谷中村に案内。
 
 明治37年(1904)7月谷中村問題に専念する
ため入村。年譜に、そう記されています。喝
 
 
 

 







2021/01/22 9:05:19|その他
田中正造 年譜
 「田中正造翁余禄」島田宗三著に
ある、翁の年譜を蔵の街図書館で
コピーして貰いました。
 
 ネライは、晩年、谷中村暮らしの
翁に付き添っていた著者が遺した
余禄年譜と全集年譜を一冊の
ホルダーに並べて納めれば〜
 
 ところが、紙数が多く、収まり
きらず、折角のアイディア?
思いつきも!一タス一は三ナラズ?
 
 個は孤ならず、二つの年譜を
合わせれば、なぜ今谷中村か、
正造翁の息づかいが〜
念ずれば花開く。喝
 
 







2021/01/21 8:51:19|その他
田中正造観〜十年一昔〜
2012年2月29日、里便り再編集再掲。
 
 福島原発事故の後、
これは第二の鉱毒事件、
現代版谷中村だ!
第二の正造、現れよ!
そう、お便りし、他人にも
話しました。

 実はあの時、足尾鉱毒事件の
主役は田中正造以外に、いないと
捉えていたフシガあります。

 実際に取材してみますと、
正造の向こうに被害住民の祈りと
動きが見えてきました。
これが正造を天皇直訴に駆り立てた
川俣事件です。

 ここに登場した被害住民すべてが、
足尾鉱毒事件の主役です。そう思い、
叉、迷いながら、今日も温故知新を
続けます。喝







2021/01/20 9:41:11|その他
谷中村 この世の話
 2012年3月16日、里便り再掲。

 足尾鉱毒事件、田中正造に従って、
最後まで闘った人は正義派、それ以外は
裏切り、脱落、買収派!ヒドイ話です。

 なかには、売国奴ならぬ売村奴!?
正造研究者の間で、罷り通っています。

 これを隔靴掻痒といいます。
誰も正造のカユミに気づかず、勝手な
話をしています。

 来年、正造没後百年、文明批評家?
預言者?思想家?神様扱いされぬよう、
セツニ、希望します。

 因みに今年(2021年)は、生誕180年、
直訴120年。
 







2021/01/19 14:48:35|その他
菅笠〜谷中村哀歓〜
 2012年3月17日、里便り再掲

 我が子の安産を祈る十九夜様の
石碑が、旧谷中村の合同慰霊碑に、
数多く、祀られ、当時の繁栄を
偲ばせています。

 谷中村は豊かな土地でした。男たちが、
農作業の合間に、豊富な川魚を獲って、
売りさばき、そのカネで遊んでいる時も
女たちは、近くに生えている菅やマコモで
頭にかぶる笠を編み、男を上回る現金収入を
得ていました。

 菅笠は、夏の暑い日ざしや雨をサエギリ、
野良仕事に欠かせない必需品で、女たちは、
村を追われた後も、避難先で、菅笠編みを続け、
暮らしを支えていました。

 今は、菅原もヨシ草に追われ、笠を編む
人の姿もなく、十九夜様が、無言で、人々を
迎えています。