花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/01/27 10:35:32|その他
川俣事件

2012年2月22日、旧題替え唄、再掲。

「アレ!唄の文句が違う!」
鉱毒被害をうけた渡良瀬沿岸住民の
不穏な動きを知り、張り付いていた
群馬県警の私服が気づきました。

 元の文句は♪ 渡良瀬川の其水に
毒注がれて絶え間なく、沿岸田畑に
殺到し(略)尚あきたらず沿岸の、
人跡耐えなん勢ひぞ(略)

 後で紹介する機会もありますが、
初めに「鉱毒被害惨状の悲歌」を
書いたのが大出 喜平、昨日引用した
改作が、左部 彦次郎、世に川俣事件で
知られる明治三十年代のことです。

 唄は、鉱毒垂れ流し鉱山の操業停止を
求め、東京へ大挙押し出した被害農民の
行進で、流れました。喝







2021/01/26 9:44:31|その他
田中正造と県民性

 

  2012年3月1日、旧題 人間 田中正造
〜序論〜再編集。

 足尾鉱毒事件は、鉱毒が流された
渡良瀬川両岸にある栃木、群馬両県の
県民性の違いを浮き彫りにしました。
(雲竜寺は飛び地)

 去るも残るも谷中村、カカアまで
押し出した直接請願、その対応に
県民性の違いを見ることが出来ます。

 義人、神格化、祭り上げられる
田中正造に疑問を感じ、正造取材を
始めました。

 波風立てるな栃木県、カカア天下の
カラッ風群馬県、お互い隣り合う県なのに、
県民気質はマルデ逆!
 イモチバにダサイタマドコニアルノカ
トチギトグンマ。それがどうした、喝
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2021/01/25 9:42:25|その他
至る所 書斎アリ
   2012年4月15日里便り、旧題オープン書斎。

 家で本を読むと、舟を
漕ぐ?ので、読書は、周りに
人がいるファミレスです。

 警告!お客様で込んでいる時は、
本を広げて勉強しないで下さい!
念のため。

 食事時を避けて、「女優 木暮実千代」
知られざるその素顔―を読んでいます。
彼女は、強制廃村、谷中村出身の男の
和田「つま」でした。

 夫は、彼女の籍に入り「俺は栃木の土ン百姓」
正造のセリフを真似るだけで、自らは出身地を
名乗らず、新聞記者として、活躍しました。







2021/01/24 12:23:53|その他
渡良瀬のこころ

 2012年4月9日里便り再掲。

 足尾鉱毒事件、渡良瀬川を
舞台にした、鉱毒悲歌、ウルトラマリン、
そして小椋 佳さんの逍遥の歌に
巡り会いました。

 鉱毒悲歌は悲憤慷慨、請願デモで
歌われ、ウルトラマリンは谷中村廃村が、
子孫のこころ、ソレガドウシタ ソレデ
ドウシタと叫ばせました。

 「渡良瀬逍遥(そぞろ)」は小椋さんの本に
よれば「渡り残している河をふりかえる時、
人は同じ表情になる」
これが我々の共通意識だ。

 これを受けた「渡良瀬を行けば」で
「渡りもあえぬ渡良瀬の 河のほとりに
一人来て」そして、各小節の終わりに
「なんと」ひそやかなものか、
さびしいものか、はかないものか。
心象風景を詠んでいます。

 参考文献「渡良瀬逍遥」企画・構成 小椋 佳







2021/01/23 11:22:10|その他
鉱毒闘争 最後の砦
 田中正造が、直訴後、谷中村へ
入村するまで、足かけ三年の月日が
流れています。
 
 コピーした田中正造全集と余禄の
二通りの年譜には〜
 
 県内外各地で開かれた鉱毒停止演説会、
鉱毒講演会に登壇。その間、新聞記者や
政治家それに学生らを被災地谷中村に案内。
 
 明治37年(1904)7月谷中村問題に専念する
ため入村。年譜に、そう記されています。喝