花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/02/10 10:34:14|その他
正造翁にスマホを持たせたら
 古河市兵衛と田中正造、
共に手紙魔、書き魔と呼ばれ、
紙爆弾!紙ツブテ!と畏れられて
いました。

 市兵衛翁は、操業間がない
足尾銅山に三日にあげず、東京から、
金釘流の手紙で指示!

 正造翁は、谷中村再興に、一日に、
同じ相手に数通の手紙を、毛筆の
デカイ文字で!

 今ならサシズメ、二人とも手紙王!
表彰状!?ツイッター魔?二人の間で、
手紙のやり取りは?川から山へ、山から川へ!
郵便配達のおじさん、
ご苦労様デシタ。







2021/02/10 10:30:15|その他
正造翁にスマホを持たせたら
 田中正造、退隠勧告
お断わりの手紙、感動
しました。

 これまでに書き留めた
翁の手紙、再編集、再掲し、
書簡集の内容を中心に掘り
下げます。
 
 先ずは、2013年1月13,14日、
里便り、再掲。
 
「渡良瀬川」佐野聖光写真集に、
古河市兵衛と田中正造二人の
手紙魔ぶりが紹介されていました。
 
 実は、その話でなく、
一文のなかに銅山の経営は
明治18年ごろから軌道に
乗り、渡良瀬川は鉱毒に
犯されてゆく云々、見過ごして
きた事実が平易に書かれています。
 
 田中正造研究書に、明治13年ごろから
渡良瀬川で魚が死んで浮き上がり、
当時の知事が、魚の売買、食を禁じ、
国会で問題になったとあります。
 
公害発生年次、明治13年か
18年かは、研究者の間で
解決済みですが、川から山を
見る?のでなく、山から川を
見る目も!?デシタ。
 
 
 







2021/02/09 16:26:06|その他
ゴメンなさって
 田中正造、支援金付きの
退隠勧告を固辞し、谷中村に
転籍、辛酸亦入佳境の生活に
入りました。
 
 明治39年(1906)丙午、
正造翁、66歳。先に紹介した
隠居願い下げの手紙の中で〜
 
 日本の水害ハ天災ニハあらで
略、山林を濫伐せし結果ニて、
日本人造の衰亡ㇵ此水源人造の
荒亡より来る〜。
 
 此人道の頽廃を挽回し、略、
沿岸村々ㇵ勿論、訴訟其他の
方法ニ至るまで、略、国民宗教的
運動の大必要ハ云々。
 
 衰えぬ翁の闘志、分かります?喝
 
 

 
 







2021/02/08 10:02:42|その他
老いて朽ち果つるまで
 正造ハ老へたりとて隠居
せるものニ無之候。斃れて
止むまで(略)進歩主義にて候。
 
 田中正造、知人に宛てた隠居固辞
手紙要旨です。
 
 正造老衰をおもわれ此挙(隠居募金)略
集金云ゝニ至りてハ弊害百出(略)小生の
却って迷惑ニも(略)
 
 殊ニ今日の時勢、金ハ仇とも可申ほど
人心を腐敗せしめ候へバクレゞ 別に
御良案を仰ぎ度候。
         喝
 







2021/02/07 13:08:10|その他
田中正造 隠居勧告募金
「正造さんもいい歳こいて、
隠居する歳ダンベ、まとまった
カネも欲しかっぺ」
 
 全集年譜、明治39年(1906))
田中正造66歳、郷里有志よりの
退隠勧告、固辞。
 
 全集索引を検索すると知人に
宛てた翁の手紙。「ヤメてクンロ!」
やりとりの内容詳細は、次の便りに。
 
 翁の人生哲学、金銭感覚、いつの
時代でも取り戻して欲しい!喝