花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/11/12 9:13:53|その他
直訴状 夜か昼かそれとも
 田中正造に直訴を勧めたと
みられる石川半山日記を読んで
これまで伝えられた直訴前日の
動きを眺めています。
 
 1901年(明治34)12月9日
夜、田中正造が幸徳秋水の家を
訪ね手直訴状の起草を〜
 
 イヤ、正造翁が来たのは昼間でした。
秋水の家族は(直訴状用)奉書を買いに
行かされたから覚えている。(後年記憶を)
 
 ナントもセワシナイ話。ここに石川半山日記
登場。石川半山、幸徳秋水、そして田中正造
三人の関係は?喝
 







2021/11/11 11:00:32|その他
直訴状の書かれた日
 
 田中正造に直訴を勧めたと見られる
石川半山の日記を読んで、直訴状の
書かれた日は?
 
それまで、直訴状は、田中正造が
直訴前日夜、幸徳秋水の家を訪れ、
起草を依頼し、手を加え、直訴に
臨んだと受け止めていました。
 
 半山日記は、直訴半年前、田中正造が
勧めを受け入れ、幸徳秋水を加え、計画が
練られていたことを窺わせます。
 
 それは、直訴直後、新聞向けに直訴状の
写しが配られ、号外!号外!その手回しの
よさにも。
 
 さらに正造翁が片手に持った直訴状の
表題は「謹奏」新聞号外は「謹奏表」その
違いが。そしていずれの直訴状にも
直訴当日12月10日の10日の日付けが
アリマセン。喝
 
 
 
 







2021/11/10 9:48:26|その他
直訴 シナリオ 石川半山
 田中正造に直訴を勧めたと
見られる石川半山日記を読んで
これまで伝えられた事実と、どこが
どう違うのか。
 
 石川半山日記、明治34年(1901)6.8日
僕(半山」曰く。君にして若行うなら僕
之を言わん。君唯佐倉宗五郎たるのみ。
 
 田中蹶起快之誓断行。
 
 僕乃ち其方略を授く。其方略、これが
石川半山直訴シナリオ、6月8日を期して
後に幸徳秋水を加え、役割を決めました。喝
 
 「参考」
田中正造と足尾鉱毒事件研究
 
 
 
 







2021/11/09 8:01:34|その他
日記が語る田中正造の直訴
 蔵の街図書館からお借りした
田中正造研究書の中に、画期的な
情報がありました。
 
 それが石川半山日記(東京大学所蔵)の
存在です。明治34年6月8日、直訴の
半年前、半山が田中正造と会し、その席で〜。
 
 「今日唯一策あるのみ」
田中曰く。何事ぞ。
 「予曰く。容易に語る可らず」
田中曰く。謹みて教を受けん。
  
 日記の存在を伝えた研究者は、
この記述をそのまま信用すれば云々。と
書いています。確かに、田中正造と
直訴の輪郭が見えてきます。喝
 







2021/11/08 10:56:00|その他
足尾鉱毒と二十四節気
 アレ!間違えたか?今日になって
気付きました。昨日の里便り「鉱毒証言
冬至十一月中之節」

 対するに今年の暦。
11月7日、昨日は立冬。冬至か立冬か。
 
 そこで検証。鉱毒証言、渡良瀬二十四節気
被害実記の庭田源八さん。
 立春正月の節、雪が一尺以上も降りますと、

 対するに今年の暦。立春は2月3日。
 
 正月の節より十日も立ちまして〜陽炎は
立ちまするが〜鉱毒田甫に湯気の立登るを
不見。(鉱毒証言)
 雨水正月の中の節、渡良瀬川の瀬と淀に
藻が生え〜
 啓蟄二月の節に相成りますと〜冬籠りして
いたハヤ(渓流魚)が陽気に遊出し〜

 対するに今年の暦。雨水、2月18日。
啓蟄、3月5日。喝