2012年2・25、里便り再掲。 田中正造が、東日本江刺県(当時)に 下級官吏の職を得て、単身赴任していた時、 若い現地妻と起居を共にしていました。 正造は、分かり難いその土地の 言葉の通訳と家事を兼ねた一挙両得の 現地妻を同僚の誰もがやっていると 押し付けられた云々 言い訳めいた記述が彼の全集に見え隠れ しています。 ところが、後でヒマを出された現地妻、 これを恨んで、正造が上役殺しの冤罪事件に 巻き込まれた時、「事件のあった晩、正造が 隣で寝ていたかどうか?グッスリ寝ていたので、 分からない」 正造のアリバイを証明してくれませんでした。 おかげで正造は獄に三年余りツナガレ、 繰り返し読んだ西国立志編で、初めて 西洋思想に触れ、思索を深め、後年 これが彼のバックボーンになりました。 あの時、彼が、罪を着せられなければ〜 一生田舎の小役人(失礼!)で終わったかも しれません。マタオイデ。
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