花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/06/13 10:39:12|その他
和紅茶
 長野県の茶の産地、天龍村で
新たに紅茶づくりを始めた話題、
今朝ラジオで聞きました。
 
 紅茶と言えば、頂いた静岡県産の
和紅茶、砂糖も蜂蜜もミルクもいらず、
紅茶本来の味を楽しんでいます。
 
 天龍村では、新芽を摘んだ後
育った、これまで摘まずにいた
茶葉を紅茶に利用します。
 
 村の特産品に育つよう、紅茶の魅力を
広げて下さい。期待します。喝
 







2021/06/12 11:48:12|その他
喧嘩相手
 我友田中正造君逝ケリ、
大隈重信が、激論、ケンカ?
相手の逝去を悼み、弔辞を
寄せています。
 
 佐野市郷土博物館から活字に
起こした弔辞の写しを頂きました。
 
 大隈重信の直筆は、ほとんどなく、
口述筆記に近い形の弔辞、簡にして
要を得ています。
 
 弔辞には「盡瘁」なる正造翁の
生涯を髣髴とする言葉も鏤められ、
近くオスソワケします。喝
 







2021/06/11 13:23:18|その他
田中正造 〜マイ早慶戦の影に〜
 1901年、福沢諭吉、没、66歳。
故人の遺志により、花や香典一切
辞退。厳粛に簡素に告別式。
 
 大隈重信の使者、生花花束、斎場に。
福沢家辞退。
 
 使者「大隈が、福沢の訃報に接し、
自ら育てた花を自ら切って、涙ながらに
こしらえた花束です」
 
 福沢家、黙って受け取る。
これが後世、福沢諭吉に別れを
告げた大隈重信唯一の花です。
 
 早慶両校、相競い、相和し、
福沢、大隈二人の友情に支えられ
励まされ、田中正造もって瞑すべし。喝
 
 







2021/06/10 8:58:57|その他
 私の早慶戦
 伝統の一戦〜の名で呼ばれる
各スポーツ早慶戦、福、大、田の
存命中は、まだ始まっていません。
 
 田中正造〜マイ早慶戦のネライは、
手紙魔正造翁が知己を得た慶応の
福沢諭吉、早稲田の大隈重信に
直情をぶっつける書簡を送っています。
 
 文は人なり、また、文字も人柄を
表します。
 
 慶早、創設者の福沢諭吉、大隈重信が
田中正造にすべてにおいて、いかに
対応したか、マイ早慶戦、それが
「私の早慶戦」です。喝
 







2021/06/09 10:47:01|その他
三つ巴
 福、大、田の断片的な情報を
積み重ねていきます。
 
 福沢諭吉は、大胆さと慎重さを
兼ねそろえたバランスのいい性格の
人でした。
 
 大隈重信は、カネに汚い、オンナに
モテない、弁舌巧み、負けず嫌い、
不撓不屈の精神の持ち主でした。
 
 田中正造、大隈と田中を結び付けた
島田三郎(政治家、新聞社社長)の
紹介状。
 
 「性少しく頑、短慮の失あり候へども、
直情勉強は多く其の比なき者に御座候
へば〜」喝