花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/09/07 9:08:30|その他
公害の原点 国会議員をも罷めます
 田中正造「回想断片二七」
「予思へらく、如かず、一刀両断、
一身一家の利益を擲って政治改良の
事に専ならんにはと。
 
 「鉱毒は畢竟田中の選挙手段だ。自分の
選挙区に関係があるからやるのだ。馬鹿な説が
この議場の中に一人でも二人でも〜」
 
 「私は議員をも罷(や)めるのでございます。
さりながら今日辞表を出しますれば、明日は
演壇に登ることが〜今一場のお話を致して〜」
 
 「政治をやって居る間に、肝腎の人民が
亡んでしまった。一語、煙のやうに翁の唇頭を
漏れた」(木下尚江)
 







2021/09/06 11:38:58|その他
公害の原点 政治にカマケル
「可悲(かなしむべき)は
鉱毒被害地人民也」庭田源八著
「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」に出て
きます。「人民」田中正造翁の言葉
でもあります。
 
 「政治をやって居る間に、肝腎の人民が
亡んでしまった」木下尚江が伝える
正造翁の独り言、エピソードの一節です。
 
 肝腎の人民、足尾鉱毒事件で「人民」という
言葉が使われていた。それも分かります。
気になったのは「政治をやっている間」
 
 正造翁は「政治にカマケテイル間に」
翁の述懐をそう記憶しています。
その意味は、深く、重い響きと反省です。喝
 







2021/09/05 10:53:16|その他
公害の原点 渡良瀬の四季〜二人の翁〜
 
 田中正造翁は、大正二年(1913)
「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」の著者
庭田源八翁宅を訪ねた先で、亡くなり
ました。73歳でした。
 
 正造翁は、足尾鉱毒事件資金カンパから、
谷中村へ帰る途中、立ち寄った庭田さん宅で、
父子共に留守、案内された新宅の庭田清四郎さん
方で倒れ、病臥に伏しました。
 
 庭田源八さんについて、当時の毎日新聞、
明治三十年(1879)4.15日、鉱毒地巡見碌で
庭田家の鉱毒被害状況を伝えています。
 
 人も羨むほどの「物持ち」だった庭田家が
昨秋の出水、鉱毒侵入、田畑、荒蕪、窮落貧困!
足尾鉱毒事件を挟んだ二人の翁の絆を〜。喝
 
 







2021/09/04 14:39:18|その他
公害の原点 その流れ
  田中正造「回想断片三七」
「県令藤川為親は去る(明治)」十三年より
渡良瀬川の魚を食すべからずと令達せしより
三年、洪水出る毎に必ず令したり」
 
 「断片四二」
 「渡良瀬川の魚は毒の為に死して流る、
県令にも、衛生被害の大切なるに心付かずして」
 
 「断片四三」
 「明治十三年藤川県令大いに鉱毒の害を唱ふ。
正造は県会議員たり。毎年河川沿岸を巡回、
生命の貴重な問題軽視、鉱毒の加害発見せず」
 
 明治三十一年(1898)「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」
 「人々きう〜〜として、財産を失ふは生命を失ふ
どうり。諸君希くは、庭田源八宅へ。一切に付
御べんめい致し升。
 
 著者、庭田源八、当六十歳。田中正造、五十八歳、
国会議員。
 
 明治二十四年から三十四年に至るこの十年の間、
この人は、衆議院の壇上で「足尾鉱毒事件」と云うふ
ものを叫んだ。

 (木下尚江著、政治の破産者、田中正造)
 
 
 







2021/09/03 9:41:44|その他
公害の原点 渡良瀬の動植物
 庭田源八著「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」で
鉱毒被害を証言している「生きとし生けるもの」
今回は、動植物リストです。
 
 「動物」
 亀。蝦蟇(がま、ひきがえる)
 
 「植物」
 こうほね、柳,蕗、くこ、蓬(よもぎ)菰(こも)
菱(ひし)ぬか菱、鬼菱、角菱。じゅんさい。
 
 「蛇」
 山かがし、しま蛇,地もぐり、青だいしょう、
かなめ、ま虫。
 
 (表記は、原文のママです)