花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/07/17 10:12:53|その他
正造翁 鉱毒空白の十年、その後
 岩波書店、田中正造全集(年譜)
ベースに「正造翁、鉱毒空白の十年、
その後」を辿ります。
 
 明治十三年(1880)正造 四○歳
補欠選挙により安蘇郡選出の栃木県会
議員となる。
 同年1,渋沢栄一、足尾銅山経営に参加。

 当時、正造、県会議員・県官の一部から
「安蘇の馬鹿」と呼ばれる。
 
 同年10・29 藤川為親栃木県令
就任。明治十三年、十四年、十五年、
渡良瀬川の漁族捕獲禁止令。鉱毒の害唱ふ。
 
 而して藤川為親は明治十六年、此等の為か
島根県に転任せられたり。
 (断片四十三)喝
 







2021/07/16 10:56:40|その他
正造翁と足尾鉱毒事件
 正造翁が足尾鉱毒事件に
取り組んだ経緯が分かりました。
 
 全集@「回想断片四三」要旨。
明治十三年(藤川為親)大いに
鉱毒の害を唱ふ。
 
 正造は県会議員、毎年河川
沿岸巡回、鉱毒の加害発見せず、
 
 後正造は二十三年の大洪水に
至るまで十一年に渉りて此間
鉱毒の何たるを知らざりし、喝
 
 







2021/07/15 8:47:14|その他
 正造翁 無学論
 実に無学ほど悲しきものは
無し、正造翁の述懐です。
 
 先にお便りした正造翁の
「旧憤一洗」と対をなすもの、
意味合いを検索しています。
 
 知識か智識か正造翁のいう
学とは?
 
 知?智? 喝
 
 参考引用、全集@
 







2021/07/14 10:00:18|その他
旧憤一洗
田中正造年譜。
 明治十二年(1879)三十九歳。
栃木県会議員選挙に次点で落選。
 
 生(正造)は父も庄藏と呼び(略)
父子共に同名のため投票の反則は
山分け半にて予は落第せり、
 
 正造正造大いに悔ゆ、(略)(他候補当選
辞退の判断に)学力あるが為めなるを見て
心大に恥ぢ〜
 
 同年地方新聞を起こして自他共に
教育をすゝめ人心の旧憤一洗の実を
挙げんとはせり。喝
 
 
 







2021/07/13 8:30:14|その他
正造翁の発明特許
 獄中に書籍の差入れもなく、
只黙念するのみなれば、(略)
茲に記憶の工風をこらして
一種の発明せしものあり。
 
 要は(略)他の事は忘れよ、
二課以上を兼ねるは過りなり。
故に予は出獄以来、何事も
兼ねる事を避けて為さざるなり。
 
 正造翁の回想断片一八(全集@)
我が身に引き比べてみると、背中で
TVの音声を聞き、パソコンでネット碁。
 
 正造翁とは正反対のナガラ流ライフ、
碁の棋力は、万年一級、翁の集中発明を
知っていれば。喝