花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/07/22 13:25:44|その他
正造翁 自責の念と直訴
 正造翁、足尾鉱毒事件、
空白の十年と直訴の因果関係は〜
 
 時の県令、渡良瀬川の魚、鉱毒の
ため死して流れる、捕食禁止。
 
 当時鉱毒の肉眼に映ぜざるを以て〜
心付かずと(翁)反省?
 (チョッとアンタ!)
 
 渡良瀬鉱毒地、官有物払下げ
北海道政汚職事件(当時)二つ
ながら国家の運命を縮めるも亦
奇なりというべきか。
 (チョッとチョッと!!??) 喝
 
 







2021/07/21 11:26:29|その他
正造翁 沈黙十年 獅子吼十年
 明治二十四年から三十四年に
至るこの十年の間、この人
(正造翁)は、衆議院の壇上で
「足尾鉱毒事件」と言ふものを
叫んだ。
 
 木下尚江が政治の破産者・田中正造で、
マイブログ「正造翁、鉱毒、空白の十年」の
現状を埋めています。
 
 足尾の製銅量
明治十年     七七、〇〇〇斤
  十三年   一五四、〇〇〇斤
  十四年   二九〇、〇〇〇斤
  十七年  三、八四九、〇〇〇斤
  二十年  五、〇二九,二五七斤
  二十一年 六、三六八、五五八斤
 
 これに対する安蘇足利梁田三郡の
漁業家数。
 明治十四年  二、八〇〇戸
   十七年  二、〇〇〇戸
   二十年  一、〇〇〇戸
   二十一年   七〇〇戸
             喝
 







2021/07/20 8:12:57|その他
空白を見つめる
 正造翁、県議初当選から、
国会議員に転ずるまでの
十年間、足尾鉱毒の文言は
ありません。
 
 空白の十年を軸にその前後、
年譜を辿り、見えてくるもの、
お便り、続けます。喝
 







2021/07/19 12:20:50|その他
正造翁 鉱毒空白の十年
 島田宗三編、田中正造翁年譜から
「鉱毒空白十年」を拾い出します。
 
 明治十三年(1880)正造翁、四十歳。
補欠選挙で県議初当選。
 栃木県令藤川為親就任。
渡良瀬川の漁属鉱毒汚染の疑いで
捕食売買禁止。
 
 明治十四年
自由党成立。
 明治十五年、自由党新聞発刊を巡って
板垣退助と対立、改進党へ。
このころ、仲間から栃木鎮台と呼ばれる。
 
明治十六年 三島通庸、県令に
 足尾銅山の生産量百八万九千斤。
(一斤は六百g)
 
 明治十七年 加波山事件冤罪。投獄。
 
 ず〜っと省略、
 明治二十二年 渡良瀬の水源官林
七千六百町歩を古河市兵衛に払下げ、
その価格一万千百円なりという。喝
 
 







2021/07/18 11:13:17|その他
正造翁 鉱毒空白の十年、その前
 1610年 足尾銅山鉱床発見。
 
 1635年 日光東照宮の屋根に
     足尾の銅が使われたほか
     足の字を刻んだ銅貨も。
 
 1790年頃 付近の農民が銅山
      廃棄物による河川汚染を
      訴える。
 
       時の老中松平定信、採掘
      停止命令。八十年間、閉山。
 
 1877年 古河市兵衛 廃坑同然の
      足尾銅山買収、開発。喝