花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/10/01 8:14:49|その他
田中正造 図書館巡り 2012.3.07 再掲
 足尾鉱毒事件の舞台になった
渡良瀬川沿岸の市や町の図書館を
巡り、郷土資料を読み比べています。

 図書館は普通、月曜休みですが、
開館しているマチもあり、重宝しています。

 一方、郷土資料室への入室条件は、様々で、
住所、氏名を記入させ、メモ以外の持ち物を
禁止している所もあります。ほとんどは
職員に利用を告げればよく、オープンです。

 昔、サツ回り、今まだ日が浅い、図書館巡り、
公害と住民、そして田中正造の昔と原発事故が
重なり、短い時間が過ぎていきます。マタオイデ。







2021/09/30 12:13:00|その他
田中正造と足尾銅山 2020・11・02再掲
 1878年1878年(明治11)田中正造、
政治家専念決意表明、翌々年
1880年(明治13)補欠選挙で
栃木県議に初当選。
 
 その同じ年に、足尾銅山は
古河(フルカワ)の商標で
鉱業専業を宣言。
 
 1881年(明治14)足尾銅山で
有望な鉱脈発見,古河好転に向かい、
足尾産銅量、発展、日本一に。
 
 1885年(明治18)渡良瀬川で
アユ大量死。
 
 1886年、田中正造、県議会議長。
この年、足尾銅山と日光、宇都宮
それに東京を結ぶ日本初の民間電話が
誕生しています。喝







2021/09/30 11:55:41|その他
田中正造 鉱毒国会
 鉱毒の人、田中正造翁の
国会活動を採り上げるため、
先の関連お便り、再掲します。
 
 「アユと田中正造」2020.10.30日
渡良瀬川のアユ大量死。
1878年(明治11)
その時、田中正造(38歳)は?
 
 田畑転売、3000円余り
利益得。それを資金に
政治に専念を決意。
 
 1885年(明治18)もアユ大量死!
その時、田中正造(45歳)は?
 
  前年、加波山事件連累者として
警察に逮捕される。その後、釈放。
新年早々は出獄歓迎会に出席。喝
 
 引用、田中正造年譜。
 







2021/09/29 11:12:21|その他
キョウトもイロイロ 顛末引用
 「川俣事件」警察は六十八名の
「指導者」を逮捕した。後になって
つけられた罪名は、「兇徒嘯集」と
「官吏抗拒」
 
 「川俣押し出しの一件であるが、
「兇徒嘯集」という罪名で農民の
指導者起訴したのであれば、正造も〜
 
 この事件で法律自体は、奇妙な形
ながら被告にとって有利にはたらいた。
 
「兇徒嘯集罪」(禁固六年から十一年
の刑)の求刑は却下された。
 
「引用」
 K・ストロング、田中正造伝
 
 
 
 
 
 







2021/09/28 9:19:47|その他
キョウトの罪は一つデシタ
 
 「兇徒嘯集などと大層な事を
言ふなら、何故田中正造に沙汰
しなかった〜」
 
 「など」は「罪」か?「罪」と
受け止めたのは、誤解と錯覚、
罪名を二つ誕生させてしまい
ました。
 
 正造研究第一人者のアドバスで
旧刑法、第136条にアクセス。
 
 兇徒聚衆の罪。
兇徒多衆を嘯聚して〜
コレ一つデス。
「お詫びして訂正」

 自由民権弾圧のため制定された
旧法、鉱毒被害民の「押し出し」を
粉砕!これが世にいう「川俣事件」喝