花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/10/10 12:11:22|その他
私ハ田中正造党員デス
 第一回総選挙、明治23年(1890)
栃木第3区、当選、田中正造、797票、
次点、木村半兵衛672票。
 
 選挙権が高額?納税者にだけ、与えられて
いた時代の選挙です。その栃木第3区の旧い
町で田中正造、当時の選挙運動に触れる機会が
ありました。
 
 選挙カード、個人名の下にハンコが〜
ハンコをクダサイと言われれば、名前は
書くけどハンコだけは〜のハンコが。
 
 田中正造衆議院議員十年、一年に2回、
しかもそれが2度も!総選挙を戦い、
連続6回当選、その秘密は?喝
 
 







2021/10/09 13:37:13|その他
戦いすまず 日は暮れぬ
 国会解散で田中正造の
足尾鉱毒事件追及を逃れた
政府、正造を落とせ!
 
 田中正造年譜によりますと
明治25年(1892)「衆議院解散始末」
演説。ある演説会の帰途、多数の
暴漢に襲わる。支持者が田中正造を
襲撃する暴漢の一人を斬殺して自首。等
 
 県会より衆議院に移り、二十年間
未だ次点に下りし事一回もなきは
不相応の出來なり。(回想断片)
 
 田中正造、50歳で第一回衆議院選挙に
初当選以来、直訴辞職まで十年間に
連続6回当選。喝
 
 
 
 







2021/10/08 14:17:12|その他
佳境無残 荏苒国会
 時の農務省大臣陸奥宗光は
「荏苒」として空しく時を過ごし、
議会解散に至って、漸く始めて
その答弁書を公にせり。
 
 これが鉱毒議会、政府の対応です。
 
 田中正造が、足尾鉱毒事件を
初めて採り上げた第2回議会、
明治24年11月26日開会、
同年12月18日に足尾銅山鉱毒の
儀につき質問書、提出。24・25日に
足尾銅山ノ事ニ就イテーー質問。
 
 政府答弁がないまま、田中正造質問
二日目、25日、第二回国会解散。アレヨ
アレヨ。
 
 「引用」荒畑寒村著「谷中村滅亡史」
 「荏苒」じんぜん。何もしないで
時間を過ごす事。
 
 







2021/10/07 14:42:16|その他
鉱毒国会 入佳境
 足尾ノ銅山ノ古川(河)市兵衛ガ
炭ヲ焼イテ売ッテ、一箇月、二三百円ノ
利益、是ㇵ(も名義は山林でなく)草山デ
アル。
 
 鉱山ノ取調ㇵ一向ニナイノデアル、
ナケレバ、固ヨリ其費用ㇵ全廃シテ
可ナルモノデアル。
 
 第一拙者(田中正造)ノ十七日(八)ノ
質問書ニ未ダ御答ノナイノハ、鉱山ノ
一件デアル。
 
 田中正造、質問のポイントは、二つ、
一つは、帝國憲法で個人の所有権は、
保障されている。もう一つは、鉱山の
試掘、採掘が公益に害ある時は、認可を
取り消すことが出来る。ソコデ、政府は!?
 
 







2021/10/06 11:53:11|その他
鉱毒国会 不正追及
 「三才ノ少児ガ見テモ、
此位ナコトㇵ理解ガ出来ル
コトデアル、」
 
 獅子吼する田中正造!正造の
演説が、やがて、国会名物に。
 
 翌2日目、4番、田中正造君、
「草山ト云フノㇵ、草ノ生ヘタ山デ、
木ノアル山ㇵ山林ㇳ云ヒ、」
 
 草山と言う名義で、安生順四郎
(当時、栃木県の郡長)に払下げた
三千七百町歩ノ山ㇵ、隅カラ隅マデ
木ガ生ヘテ居ル」
 
 「払下ノ代金ㇵ僅ニ五百円デアル、
木ノアル山ヲ草山ㇳ云フ名義デ、是ㇵ
明治十八年デアル、ドウ云フ次第デ
斯様ナコトガ出来タカ、」