花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/08/16 10:18:35|その他
鉱毒証言 清明三月渡良瀬
「清明三月の節になりますると
三月の節句に草餅を春(つ)きまするに、
蓬が多くありまして、摘みましたもので〜
 
 只今では鉱毒地には蓬が少なき故
利根川堤や山の手へ行って、〜。
近年は無拠(よんどころなく)
青粉と申すものを買ひまして(略)
 
 鯉など年中はねて居りました。
只今では毒鉱土砂沈殿し、河底埋塞の為
浅くなりました故、魚は居りません」
 
 [引用]「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」
     庭田源八、著
 
 
 
 







2021/08/15 11:24:08|その他
鉱毒証言 渡良瀬四季のハザマ
  「立春正月の節。雪が一尺以上
降りますと青竹弓でブツハキと
云ふをこしらへ、(小鳥)餌をあさるを
待ち受けて急に糸を引きますると
矢がハズレ〜」
 
 「近年鉱毒被害の為小鳥少なく、二十歳
以下の者この例を知るものなし」
 
 「啓蟄二月の節に相成りますと(略)
渡良瀬川に亀が多くおりました。只今にては
十四五歳位の童児抔は亀甲と申す生きて
居れるを見たものは少ないで御座りましょう。
即ち鉱毒被害なるべし」
 
[引用]「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」
     庭田源八、著
 







2021/08/14 9:43:17|その他
正造翁と渡良瀬川鉱毒洪水
 明治11年(1878)渡良瀬川に
洪水があり、魚の被害発生、川水に
つかると足の指がただれるひとが
増える。
 
 明治13年、栃木県令、渡良瀬川の
魚を有害と警告、魚類捕獲禁止令を
出す。
 
 明治23年(1891)大洪水の発生、
鉱毒反対の動き表面化。正造初めて
鉱毒の被害知る。
 
 明治34年(1901)田中正造、明治天皇に
足尾鉱毒事件について直訴。喝
 
 「参考」
 明治の公害と紛争処理制度に
ついて。回想断片。
 
 







2021/08/13 9:08:20|その他
正造小劇場のススメ
 田中正造全集に収められた
「回想断片」全49編、翁の
生涯エッセイ集です。
 
 生い立ちから、冤罪牢屋暮らし
ストップザ鉱毒事件、生々しい
記憶、記録、場面、情景が目に
浮かびます。
 
 これが、「回想断片」小劇場
ト書き化の挑戦です。
 
 正造小劇場を観て、田中正造の
人となりを理解しませんか。喝
 
 







2021/08/12 8:52:15|その他
正造小劇場
演目 「鉱毒」
原作 田中正造、回想断片。
出演 栃木県令、藤川為親
   県議、  田中正造
     (一場三幕)
 
 時は、明治13年、幕が開くと、宴会の場、
田中正造がお膳に背中を向けて座り、傍で、
桜川(正しくは藤川)県令が鼻を抑えて
ウズクマッテいる。
 
「二幕」
 足尾の山と渡良瀬川、アユが躍って
いる。藤川県令が両手でバッテンの
ジェスチャ。
 
 「三幕」
 再び宴会の場、正造が藤川県令の
後ろ姿に盃を捧げている。
 
 鼻をへし折った相手から教えられた
これが足尾鉱毒事件の原点です。喝