花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/10/04 12:29:51|その他
公害の原点 鉱毒国会傍聴記
 明治二十四年(1891)十二月
十八日、代議士田中正造は、
第二議会へ始めて「足尾銅山鉱毒
加害の儀に付質問書」を提出して、
茲に足尾銅山鉱業停止の火蓋を切った。
 
「引用」
木下尚江著、政治の破産者・田中正造。
 
 ナラバ、この模様を取材するため、国会に
臨時の記者席を設けて貰いました。
 
 明治二五年度予算案農商務省所管経常部に
つき質問 明治24年12月24・25日
〇田中正造君(四番)ハイ!
 
 
 







2021/10/03 11:15:46|その他
人間 田中正造 〜序論〜2012・03・01再掲
 足尾鉱毒事件とは?一言で言えば、
鉱毒が流された渡良瀬川両岸にある
栃木、群馬両県の県民性の違いを
象徴する事件です。(雲竜寺は飛び地)

 去るも残るも谷中村、カカアまで
押し出した直接請願、二つの出来事に
県民性の違いを見ることが出来ます。

 義人、神格化、祭り上げられる田中正造に
疑問を感じて始めた正造取材に、さらにプラス、
「鉱毒事件と県民性」県民性を知らずして、
事件を語る勿れ!

 大丈夫!?大風呂敷広げて!
波風立てるな、オレハオレ、カカア天下に
カラッ風、お互い隣り合う県なのに、県民気質は
マルデ逆!平均的日本人が多い栃木県、
国定 忠治が生きたシンシュの精神に富む群馬県、
ドコニアルノカトチギトグンマ、マタオイデ。







2021/10/02 10:11:10|その他
鉱毒証言 立冬十月渡良瀬
「立冬十月の節、渡良瀬川、
みよ小砂利のあります処を」
「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」
庭田源八著。二十四節気、
冬です。
 
 「鮒や鯰や鰻が多く取れました。
こがもやおし鳥が多く居りました。
不断(普段)水をくゞり、魚をとり、
餌にし喰居りました」
 
 二十四節気、冬は、
立冬十月の節
小雪十月
大雪十一月の節
冬至十一月中之節
小寒十二月の節、
そして
大雪十二月の節。
 
 二十四セッキのキは気象の
気、こころの気。喝
 
 







2021/10/01 8:14:49|その他
田中正造 図書館巡り 2012.3.07 再掲
 足尾鉱毒事件の舞台になった
渡良瀬川沿岸の市や町の図書館を
巡り、郷土資料を読み比べています。

 図書館は普通、月曜休みですが、
開館しているマチもあり、重宝しています。

 一方、郷土資料室への入室条件は、様々で、
住所、氏名を記入させ、メモ以外の持ち物を
禁止している所もあります。ほとんどは
職員に利用を告げればよく、オープンです。

 昔、サツ回り、今まだ日が浅い、図書館巡り、
公害と住民、そして田中正造の昔と原発事故が
重なり、短い時間が過ぎていきます。マタオイデ。







2021/09/30 12:13:00|その他
田中正造と足尾銅山 2020・11・02再掲
 1878年1878年(明治11)田中正造、
政治家専念決意表明、翌々年
1880年(明治13)補欠選挙で
栃木県議に初当選。
 
 その同じ年に、足尾銅山は
古河(フルカワ)の商標で
鉱業専業を宣言。
 
 1881年(明治14)足尾銅山で
有望な鉱脈発見,古河好転に向かい、
足尾産銅量、発展、日本一に。
 
 1885年(明治18)渡良瀬川で
アユ大量死。
 
 1886年、田中正造、県議会議長。
この年、足尾銅山と日光、宇都宮
それに東京を結ぶ日本初の民間電話が
誕生しています。喝