花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/10/24 16:19:48|その他
川俣事件と竹槍
 
 故布川了先輩の言。
百年前の川俣事件は
(要約川俣事件、出版時)
21世紀を生きる人々が
「真の文明」を創り出して、
よい環境のなかで、平和に
暮らすための道しるべとなる
ものである。
 
 知られざる川俣事件に学ぶことは
限りなく多い。
 
 今は、ポストコロナ。川俣事件とは。
荒畑寒村著「谷中村滅亡史」
(川俣の渡しを渡る)舟の前に斜めに
切りたる青竹数竿を挿し、警官峻拒せば〜
 
 川俣事件と竹槍、鉱毒被害民が「押し出し」に
凶器となるタケヤリを準備していたか、これが
川俣事件に学ぶポイントです。喝
 







2021/10/23 12:14:40|その他
川俣事件 竹槍か竹竿か
 警官はサーベルを抜いて
切りかかって来た。農民の方は
竹竿の他身を守るものがなかった。
 
 わが敬愛するK・ストロングの著
田中正造伝は、川俣事件を伝えています。
 
 槍か竿か、突くか、振り回して
警官のサーベルを叩き落として
我が身を守か。
 
 田中正造さんと付き合うと
通説と事実、そしてマゴビキの
キケント鉢合わせします。それを
ノリコエル!辛酸亦入佳境の境地が
開けます。喝
 







2021/10/21 12:34:04|その他
田中正造 振り向けば我一人
 足尾鉱毒事件、押し出し、
「自分(正造)が、煽って
おいて、又説諭して還す、
器用じゃないか」
 
 同僚議員にからかわれ、
田中正造、激昂す!
 
 「国会議員の歳費、上げて
くれるのに、なんで辞退するの〜」
下野人のその声、如何に多きか。
 
 「嗚呼、人の気性(県民性)は、
朝夕に製造出来るほど甘く参りマセン
のです」田中正造、長嘆息ス!
 







2021/10/20 11:51:51|その他
田中正造 妻へ9年後の礼状
 明治24年(1891)11.29日
     小中 田中拝
「父死去。昨日帰宅、本日埋葬。
明日ㇵ帰京ニ付、右申上候。頓首」
 
  明治33年(1900)3.26日
 田中カツ宛
 御礼状
「明治24年父正造(庄)」死去の節、
正造何の用意も無之候処、」〜9年後の
礼状!
 
 「其方殿多年間予て御丹誠を以て、
老父臨時の用意,葬儀の準備差支えも
なく、正造に代わり、何分此上とも
御頼み申上置候。」(要旨)喝
 
 
 







2021/10/19 9:24:41|その他
手紙その2
 田中正造が国会議員を
辞めるよ!手紙で打ち明けた
三君の名前、全集で確認し
ました。
 
 田中正造サンは1841年生まれ
次に三君の名前と生年月日
川俣久平君(1847)
村山 半君(1856)そして
蓼沼丈吉君(1862)の生まれ。
 
 三君のプロフィ〜ル、それぞれ、
県議、町長、多額納税者、銀行設立者、
正造サンを物心両面に亘って支えました。
 
 次は、なぜ君は?の流れ〜

 田中正造国会議員辞職、
三君に手紙打ち明けた
明治34年(1901.10.23日。
 直訴事件
同年12.10日。喝