花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/12/20 13:09:17|その他
気候変動〜真の文明は〜
 まず、室田武さん(1943〜2019)
足利高校卒、同志社大学名誉教授が、1983年、
「現代エコロジーの先駆者・熊沢蕃山」講演で
田中正造との共通性をお話しになった部分、
引用させて頂きます。
 
 日本の治山、治水の歴史上重要な貢献をした
二人の巨人(蕃山1619〜1691。正造1841〜1913)
が,ほとんど同じ場所(古河と谷中村は目と鼻の先)で
亡くなっているのは、興味深い。
 
 鉱毒事件は、足尾の山がはげ山になり、鉱毒水が
流れてくる。大雨が降ると洪水が〜、正造自身、
直訴したり〜、それでも何も解決しない〜、
 
 蕃山の場合も、幕府の森林伐採禁止令を巡って、
折り合いがつかなくなり、蕃山と正造の時代は
2〜3世紀違いますが、二人の考えは、非常に
共通し、最後に亡くなった場所が、近くで
興味深い歴史の偶然と言えます。
 
 砂漠化が急速に進行しているなかで、ある意味で
蕃山の時代以上に大事なことで、鉱毒事件の由来を
生涯を賭けて問いただし続けた田中正造の遺志を
現代に蘇らせることにもつながると思います。
 







2021/12/19 11:56:39|その他
正造 初心忘れず
 明治34年(1901)田中正造、61歳。
12月10日、直訴決行、
 明治37年7月、正造、64歳。
鉱毒問題解決に専念するため谷中村に
居を移す。(年譜)
 
 この間、明治35年知人に宛てた手紙に
添えられた歌。
 
 瘠せかれて 憐れはかなき 竹さゝも
又のび返る 時ㇵ来にけり
 
 瘠せかれて 影ㇵ憐れに 見ゆるとも
竹ㇵ真すぐの こゝろなるべき
 
 毒流す わるさやめずバ 我止まず
わたらせ利根に 血を流すとも 正造
 
同年6月、正造病気、5年ぶりに、故郷
小中村に一時、帰っています。喝
 
 







2021/12/18 12:01:33|その他
田中正造 妻へ再活宣言
 明治34年(1901)12月10日、
田中正造、直訴決行、失敗!?
「已来謹み居候に付」
同月18日、妻カツ夫人へ手紙。
 
「但し其筋より謹ミ申し付けられたる
ものにあらず。只自分にて謹ミ候
次第に候」
 
 これが正造の性格であり、妻への
手紙は、正造再活宣言デス。
 
 カツ夫人の身を気遣いながら、
月並みな言い方をすれば、こころは、
すでに、渡良瀬沿岸、足尾鉱毒事件
被害民救済に飛んでいる。喝
 







2021/12/17 13:49:06|その他
直訴後 妻への手紙
12月18日
 正造よりかつ子江

 去る十日にㇵ恐入候次第にて、
已来謹み居候に付、此段御承知
なさるべく候。
 
 正造ㇵ今よりのちㇵ此世に
あるわけの人にあらず。去る十日に
死すべき筈のものに候。
 
 当日ㇵ騎兵の内一人馬より落ちたるもの
なけれバ、此間違いもなくして〜
 
 正造は、相変わらず取り込み忙しく、
脳はわるくなり候も元気だから〜
病気がちのカツ夫人を、気遣い、直訴後
かつ子江宛てた手紙をしたためています。喝
 
 







2021/12/16 12:44:47|その他
30人 ニュース
 昔、サツ回りのころ、30人インタビューに
近い取材をしていました。
 
 キッタハッタ!?毎日あるわけじゃなし、
ニュースが薄い日には、マイクを持って、
カメラマンとマチに〜
 
 警察の統計モノ(交通事故や事件もの推移)が
好きで、今思えば、30人までは、いかないけれど
その手法でローカルニュースを飾って?きました。
 
 ニュースは、対話で生まれます。
30人インタビューを観て、これは世論調査の基本と
昔のラジオ街頭録音のTV合作。
 僅か30人、されど30人。喝