花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/02/12 9:51:08|その他
田中正造 郵便運動
 田中正造郵便運動、退隠勧告
固辞の手紙、翁の思いが一杯
詰まっている、改めて感じ、
郵便運動取り組み再開デス。

 里便りで以前、郵便運動の
周り、少しカジッテイマス。
 
 2012年6月15日、里便り
青空人動カー

 藤岡町史によると
この地に自転車が普及した
のは明治40年頃、1900年始め、
おかげで郵便配達もラク?に
なりました。

 この年は、強制廃村、藤岡町に
合併した谷中村に残る農家の
強制破壊が、始まった年でも
あります。

 悲惨な辛酸が続く中で、
田中正造サンは、郵便に
谷中村の復活を託し、官憲の
不当な扱いに抗議しました。

 今、当時の郵便事情を
知りたくて、関係者を訪ねて
います。「古くってサア!?」
マタオイデ。喝
 

 

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2021/02/11 11:53:08|その他
谷中村から 正造通信
 谷中村下宮川なべ氏方 正造

 申上後れました。
先日ハ端書五十枚御贈与被下、
誠ニありがたく頂戴仕候。
 
 田中正造の郵便運動、周りの
人ゞが物心両面に亘って支えました。

 2012年6月里便りです。
田中正造サンが書いた沢山の
手紙やハガキ、これを届ける
郵便配達は大変だったろう!
 
 栃木県渡良瀬の旧谷中村跡で、
感じました。ソレガドウシタ、
ソレデドウシタ。(猶吉)
 
 正造サンは、郵便で、足尾鉱毒
事件被害者に団結を呼びかけ、
鉱毒の惨状を世間に訴えました。
 
 時には、一日に十数通、同じ日、
同じ人宛に数通の連続発信、さらに
数十人宛名連盟の回覧板?ハガキも〜
正造サンが言う郵便運動、彼を支えた
のは!?喝
 

 







2021/02/10 10:34:14|その他
正造翁にスマホを持たせたら
 古河市兵衛と田中正造、
共に手紙魔、書き魔と呼ばれ、
紙爆弾!紙ツブテ!と畏れられて
いました。

 市兵衛翁は、操業間がない
足尾銅山に三日にあげず、東京から、
金釘流の手紙で指示!

 正造翁は、谷中村再興に、一日に、
同じ相手に数通の手紙を、毛筆の
デカイ文字で!

 今ならサシズメ、二人とも手紙王!
表彰状!?ツイッター魔?二人の間で、
手紙のやり取りは?川から山へ、山から川へ!
郵便配達のおじさん、
ご苦労様デシタ。







2021/02/10 10:30:15|その他
正造翁にスマホを持たせたら
 田中正造、退隠勧告
お断わりの手紙、感動
しました。

 これまでに書き留めた
翁の手紙、再編集、再掲し、
書簡集の内容を中心に掘り
下げます。
 
 先ずは、2013年1月13,14日、
里便り、再掲。
 
「渡良瀬川」佐野聖光写真集に、
古河市兵衛と田中正造二人の
手紙魔ぶりが紹介されていました。
 
 実は、その話でなく、
一文のなかに銅山の経営は
明治18年ごろから軌道に
乗り、渡良瀬川は鉱毒に
犯されてゆく云々、見過ごして
きた事実が平易に書かれています。
 
 田中正造研究書に、明治13年ごろから
渡良瀬川で魚が死んで浮き上がり、
当時の知事が、魚の売買、食を禁じ、
国会で問題になったとあります。
 
公害発生年次、明治13年か
18年かは、研究者の間で
解決済みですが、川から山を
見る?のでなく、山から川を
見る目も!?デシタ。
 
 
 







2021/02/09 16:26:06|その他
ゴメンなさって
 田中正造、支援金付きの
退隠勧告を固辞し、谷中村に
転籍、辛酸亦入佳境の生活に
入りました。
 
 明治39年(1906)丙午、
正造翁、66歳。先に紹介した
隠居願い下げの手紙の中で〜
 
 日本の水害ハ天災ニハあらで
略、山林を濫伐せし結果ニて、
日本人造の衰亡ㇵ此水源人造の
荒亡より来る〜。
 
 此人道の頽廃を挽回し、略、
沿岸村々ㇵ勿論、訴訟其他の
方法ニ至るまで、略、国民宗教的
運動の大必要ハ云々。
 
 衰えぬ翁の闘志、分かります?喝