ボスに贈るレクイエム ディアボロの宮殿

このブログはボスの名を語る管理人、ディアボロが公開しているブログです。 色々死んだりしていますが今日も何だかんだで生きていきます。 ホームページもやっておりますがこちらのブログでは基本的に雑記やらweb拍手の返信やらを行っていこうと思います。 本館となるホームページもよろしく。 なお左側のリンクにあるweb拍手を押すと、その度にボスが死にます。
 
2011/12/19 17:17:41|お知らせ
12月のお絵描きチャットのお知らせ
特に変更の希望もなかったので告知通り本日

12月19日(月)21:00〜

よりお絵描きチャットを開催したいと思います。
入口は左のリンクか本館のコンテンツからどうぞ







2011/12/09 6:50:26|戦国
徳川と戦国大戦・酒井忠次

さて前回から空いてしまいましたがまたまた徳川の話でもしたいと思います。 思えばまともなお絵かきソフト使ったの初めてかもしれません。 だいたいお絵描き掲示板で済ませてましたからね。エアブラシは失敗だったか… イラストは戦国大戦の酒井忠次です。


 酒井忠次は徳川でも最古参の家臣であり、徳川四天王の筆頭である。 家康の父、松平広忠の代から徳川(松平)家に仕えており、最古参も最古参の歴戦の武将である。今川時代、独立後と長い時を家康とともに苦難を共にした。 徳川の主な合戦には殆ど参加しており、特に長篠の戦ではその戦功を信長にも讃えられている。 古参の年長者故に癖の強い三河武士達のまとめ役となる事が多かったという。 石川数正が徳川を去ってからは、徳川第一の重臣となったという。その反面、重臣にもかかわらず宴会では海老掬い(今で言うどじょう掬い)を披露するなど気さくな面もあったという。


…しかし彼に関して特に有名なエピソードはやはり信康事件であろうか。 徳川が武田に内通の疑惑ありと、家康の長男徳川信康を切腹させた事件である。 諸説ある為詳細は別の機会にするとして、この時の信長への弁明を務めたのが忠次であり、彼の弁明が不十分だったため信康を救う事が出来なかったと言われる事となる。 忠次が息子への石高の不満を家康に訴えた所、「お前も我が子が可愛いのか?」と信康事件を引き合いに出され、口をつぐんだという。


享年70歳、関ヶ原の戦いを迎える前、徳川の天下を目にする前にこの世を去る。 華々しい活躍はそう多くはないが、最初期から常に松平・徳川につき従い苦難を共にし支えてきた。徳川四天王筆頭に恥じない、徳川最大の功臣と言っても過言ではないだろう。


 


 最初の頃の戦国大戦では数少ない徳川家臣の三河武士でした… しかし時期が時期の為、元康同様今川家勢力として参戦。 元康が独立し、徳川家康として本多忠勝・榊原康政とともに織田家に参加するも彼は今川家勢力として取り残される事となる…同じ徳川四天王なのにどうしてこうなった…。


 兵種はコスト2、武力6・統率4の鉄砲隊。今川家唯一の鉄砲隊である。それこそ最大にして唯一と言っていい利点かもしれない。 鉄砲隊なら他の勢力には同コストでずっと強力な奴がいる。特にコストが0.5下で狙撃まで持っている鉄砲隊が雑賀勢力には3人もいる…今でこそ防柵があるもののver.1.1前ではそれすら無かった…何だこの差は…。とは言え、強力で使いやすい精鋭射撃術を計略に持つ。武力11で射撃回数が5回に増える、さらには効果時間がかなり長く、装填中も高武力足軽として扱えると地味ながら非常に頼もしい存在である。 この計略の使いやすさ、効果の長さは今川家らしいと言うべきか。


 特に徳川軍の計略は即効性に欠けるものが多いので、彼の火力は非常に有難い。 自分の徳川軍では常に忠勝や康政の後方で援護射撃を行い、計略使用時には射程内の敵を殲滅していく頼れる男である。さすがは歴戦の戦士と言うべきか…。


彼はもはや我が軍にとって欠かせない存在です。恐らく彼が最も自軍で熟練度(使用回数)が高い武将です。 セリフの「いつか三河に帰る日まで…俺は勝ち続けてみせる」という文面から、苦難にあえぎながらも故郷に想いを馳せ戦い続ける戦士の渋さが一面に漂ってますね。


彼の信康事件に関しては、やる夫家康では徳川の未来を案じた故に独断で瀬名・信康を処罰するべきと考えて起こった悲劇となっていました。自分が命を懸けて、それこそ死ぬ思いをして築き上げてきた徳川の将来の為に、瀬名・信康を信じきれなかったのは彼にとっては致し方無い事なのかもしれません。


信康事件の詳細もありますし、それも踏まえて後に解説してみたいと思っております。








2011/12/08 13:40:18|お知らせ
12月のお絵描きチャットのお知らせ
そろそろ12月のお絵描きチャットのお知らせをしたいと思います。

特に希望が無ければ
12月19日(月)21:00〜
を開催予定としたいと思いますがいかがでしょうか?

希望の日時や避けてほしい日がある方は一報下さればできる限りで調整します。







2011/12/04 5:04:13|お知らせ
11月お絵描きチャット過去ログ

さて遅れてしまいましたが11月のお絵描きチャットの過去ログを公開したいと思います。
一人で夜遅くまでマンツーマンで付き合ってくれたWHさんありがとうございました。

前々からWHさんが絵のネタにしてたのと、最近よく恍惚のヤンデレポーズの元ネタとして時々見るので漫画の未来日記を立ち読みしたのでした。
そんな訳でWHさんが出してくれた題は未来日記でした。
わたしは先ほど述べた恍惚のヤンデレポーズに挑戦。
ヤンデレイラストに挑戦したのなんて初めてでした。狂気と愛情、そして危険な色気の入り混じった表情を描くのはとても難しですね。わたしのはこんな出来でしたが、元絵はとても中学生には思えない代物でした。
WHさんが描いてくれたのは同作品の御目方と本名が邪気眼でとても不吉なあの男です。
連想から、処女厨だとかとんでもない話題が出てしまいました。
彼女には悪い話題を挙げてしまったと思います。

さて次は自由題となりました。
同時期に立ち読みしたのが東方神霊廟関連で日出づる処の天子だったので、神霊廟から物部布都と豊聡耳神子を描いてみました。
凄まじい昼メロでしたね。少女漫画は恐ろしい…。
WHさんが描いたのは当たりのジャンプにあったスケットダンスのボッスンだそうです。

さてこの後わたしが何気なく出した話題で嫌われる主人公、ハーレム漫画、真中淳平だとかありささんサイトだとか例によって話題が飛びまくりました。
そんな訳でWHさんからの指定題も黒猫だったりしました。
当時ありささんサイト関連で大きな話題になったグラビティ張り手やら、鈍器として使う銃など、とんでもないイラストになってしまいました。
思えば黒猫はネタ漫画として凄まじい賑わいを見せてたなあと懐かしい気分になりました。今では知欠先生と呼ばれなくなって久しくなりましたし、とてもしみじみとします。
わたしがWHさんに出したのは前回の題関連で歴史上を元ネタにするキャラクター。描いてくれたのはFateのセイバーですね。
彼女の場合どちらかと言うと歴史と言うよりは伝説・伝承上のキャラと言う方が近いかもしれませんが、些細な事です。

わたしもとんでもないネタを振ったりしてしまいましたがそれまでにも律儀に付き合って下さいましてありがとうございました。
懐かしい話題が上がったりと、とても楽しい時間となりました。
重ね重ね、参加してくれたWHさんありがとうございました。







2011/11/28 20:26:50|お知らせ
今月のお絵描きチャットのお知らせ
告知通り本日
11月28日、21:00〜より

お絵描きチャットを開催したいと思います。
入口は左のリンクか本館のコンテンツからどうぞ。