なかなかうまくいかず投稿を断念していましたがようやくうまくいったので投稿します。 シャドウゲイトが好きで際限無く死に続けるボスにとって、シャドウゲイトのこの死に方はやらない訳にはいかないと思った次第です。
ちなみに昔作ったシャドウゲイトのレビューは本館のここ(↓)です。
http://www.cc9.ne.jp/~bossrequiem/shadowgate.html
自分に剣を突き立てたにしてはアクロバティックですが、いい参考構図が見当たらなかったのでした。 だからこの際キン肉マンでマックス・ラジアルが武道の竹刀を自分に突き立てて自害したのがつかう>つるぎ>セルフと重なったので少しわかりづらいですがこの構図にしました。
ついでなので完璧無量大数軍について少し書きましょう。 完璧超人はキン肉マンに登場する、正義でも悪魔でも、残虐超人でもない新たな超人のカテゴリーでした。 その理念は善も悪も超越した、ただ完璧なる強さを求めるだけの神にすら近いと称された超人達の集団です。 数千万パワーが当たり前の驚異的な超人強度を誇り、善悪すら戦いにおいては不純物と断じ、従来の超人達を下等超人と見下す等の選民思想を持ちます。敵に背を向けることは許されない、武器は一切使用しない、敗北を絶対に許さない、等の善悪を超越した超エリート集団、それが完璧超人でした。 …しかし初代キン肉マンにおいては完璧とは名ばかりの存在となってしまった気がします。ケンダマン&スクリューキッドは凶器は使う、恐怖で背を向ける、ネプチューンマンは自分の強さを認めようとしない人間や超人界に苛立ちを隠さない、そして信念が揺らいでしまう、首領を称するネプチューン・キングは凶器の使用、それに対する開き直りと酷い有様でした。 結局の所、初代の完璧超人はただ強いだけの慢心したエリート意識集団でしかなかった感があります。 ネプチューンマンは後に戦いを通じて正義超人入りします…がそこに彼の完璧超人としてのアイデンティティは失われていたと思います。 正義や悪、友情や絆、そういったものすら戦い・強さの不純物、弱者を認めない傲慢な選民思想、それあっての完璧超人だったのだという気がしてなりません。 U世において自分が最も輝いていたのは完璧超人時代と復帰を試みるのは、ある意味では当然だった気がします。
さて現在登場中の完璧・無量大数軍ですがそういった完璧超人の負の部分を払拭しうる軍団でした。 他の正義・悪魔超人を下等超人と蔑むエリート意識はそのままに、強さと戦いに関するストイックさと徹底した厳しさを一貫して持つ集団として現れています。この構図に使ったマックス・ラジアルが自害した際も誰一人彼を罵る事無く神妙な面持ちで末路を見届けた点など、その思想は徹底しています。 ただ、この負けたら自害、というのは生き恥を晒さないという意味では潔いのですが、1回の敗北で全てを放棄してしまう様である意味では、格好悪い気もするんですけどね…。 ピークア・ブーが言っていた様に、負けてもまだ強くなれるのであれば、強さを追求していくのも生き方として有りなのではないのか、という言葉も間違ってないとは思うんですね。
とはいえ、この狂気と言える程の強さへの盲信、これがあるからこそ完璧超人のアイデンティティはあるものだと思いますし 敵としての存在も際立つと思います。 次も機会がありましたら書いてみたいですね。 |