特撮をはさんだりしましたが今回もJOJOボスの雑感をサルベージしたいと思います。
さて3部ボスと言えばDIOです。漫画界でも非情に有名な名悪役、その後のストーリーにも大きな影響を及ぼしてきたJOJO最大のボスと言っても過言ではない存在です。
1部のディオと大きく違う点と言えば、まだまだ青臭さの残っていたディオと異なり、完全に人間から脱却した大物感、貫禄を持ち合わせている事でしょう。 特に顕著なのが人心掌握術と非人間性だと思います。 自分の絶対的な力を誇示しながらも決して高圧的に出る事無く「力を貸してほしい」「友達にならないか」などと相手に選択させる様な言い回しをしたりなど、部下の集め方も頭脳的です。それでいて反乱を起こしかねない存在には肉の芽で支配する辺り徹底していますね。 金銭で支配していた部下もかなりいましたが、ンドゥールやヴァニラ・アイスなど狂信者の様に崇拝していた者もいた辺り、その人心掌握術は相当なものです。 そういった人間は他にもエンヤ婆、6部のジョンガリ・Aなどいくつも存在しますね。
そしてもう一つの点、非人間性。これは特にウィルソン・フィリップス上院議員の所で見受けられますね。利用できる存在は前述の様に丁重に扱いますがそうでない人間はゴミの様な扱いです。いきなり暴行を加えて脅迫し、必要なくなったら使いきりの飛び道具の様に投げ捨てる。邪魔なら罪の無い通行人だろうと轢き殺していく。命乞いをする相手にも何の感情も無く「だめだ」の一言。この点は1部のディオと大きく異なる点ですね。 1部の頃はいちいち人間を超えた優越感に浸ったり楽しんでいたりしていました。
一言で言えば青臭さが抜けた大物感が3部DIOの特徴だと思います。 彼自身としてはもはや人間から脱却した、肉体的にも精神的にも人間を超越した存在であるという思想が完全に定着している感じがしますね。 それ故に人間とははるかに規格外の大物感が漂っている訳ですね。
さて、そんな彼ですが思想が完全に人間から乖離したせいか、妙に哲学的な思想をする所があります。人間は安心を得るために生きる、というセリフが象徴的ですね。 単に他者を支配するための言い回しとも取れますが、6部で求めていた天国へ行く方法もあり彼自身思う所があったのかもしれません。 人間は利用する存在でしかなく、利用する価値がなければエサでしかないという彼でありながら6部で隠し子が発覚したりプッチを友人として付き合っていたりと不思議な点があります。親友と慕うプッチに対するDIOのポーズと取れなくも無いですが、ただの利用する存在とは思っていなかった様な気がします。
まあ話はそれてしまいましたが。彼は人間を超越したにもかかわらず、ジョースターの血統は侮れない、と彼らの存在を軽んじてはいませんでした。 頂点に立つものはほんのちっぽけな恐怖を持たないもの、恐怖を克服する事こそが生きるという事、とジョースターの運命を断ち切る事にこだわっていました。 それはかつて自分を追い詰めた肉体であるジョナサンに対する敬意と反省からでしょう。 最後に彼は再びジョースターの血を継ぐ承太郎の前に敗れました。彼を本気で怒らせた事が原因で。 やはり彼は最後にははるか昔に超越したはずの人間の心の力に敗れました。 不本意な結果ではありますが悪役の鏡です。DIOという存在がいなければ、彼らジョースターという人間が持つ素晴らしさは描かれなかったでしょうから。
一言で言えば3部のDIOは超越者でした。人間を捨て去り、人間は取るに足らない存在として人の心を惑わし、恐怖させ、支配し、蹂躙する。まさにボスキャラです。 絶対的な力と頭脳を持つ存在でありながら、最後には人間の心の力に倒される。 人間賛歌というJOJOはDIOあっての存在であったとつくづく実感させられます。
※追記 西尾維新著のオーバー・ザ・ヘブンが出たりしましたね。 あの描写は、もしかしたらDIOもこんな事を考えたりしたのかもしれない、という意味では好きでした。 しかし、何と言うか演出過剰の匂いが自分にはちらつきます。 今でこそ悪の帝王、カリスマと少年漫画の悪役の伝道に名を連ねる彼ですが、あまりそういった事は彼は意識してないと思うんですね。 DIOの場合は、最も現実的で最も合理的な強くなる方法、支配する方法を選んでいたら誰もが認める悪の大ボスになっていたという感じがするんですね。 悪の道を進んだから大ボスになったと言うよりも、自分の欲望に忠実に最も正しいと思う道を選んだら悪の大ボスになっていたという感じですか。 英雄はなろうと思ってなるものではなく、行動の結果でなっているもの、という言葉があった気がしますがその逆バージョンですね。 ただ自分の思うままに進んでいたのが、帝王の道だったというのは何とも彼らしくて憧れますね。 |