雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2018/06/16 23:39:00|病身になって
開腹の見込みのない病身になって何が変る?
今日は弟が来てくれた。昨日は友と逢えて楽しかったが、午後は少しメランコリーに・・・ 
気を紛らわせる為に5,6通メールを飛ばした。さとみさんから久々にメールが届いた。
とても印象的なメールだった。2度交換メールを送ったが自分が弱気になってた事に気付く。
今朝改めてさとみさんからメールが届く。返信代わりに陽子さんに長文メールを飛ばした。
彼女は直ぐに電話で返してくれた。今まで陽子さんにしてもさとみさんに対しても、無関心な事が沢山あったことに、あらためて気付いた。元来他人事にはあまり関心がない性格だ。  
話を聞いてはいても、相手の身になって真剣に聞いたり考えたりしていなかった。そもそも他人事には関心が無かったし聞き流しが多かった。でも今更ながらその原因に気付いた。

病気になって一番最初に感じたのは、浅はかな事だが、今までは他人の病気に対し親身になって付き添ってた積りでも、経験の薄い思い遣りは相手に中々通じないという事だった。

それと絶望的な病気に掛かると、当たり前のことだが、夢も希望も消え失せ、自分の視野が狭くなる。当然世界感も変り、自分の趣味やマスコミ情報に以前より疎く無関心になる。
その反動で身近な事に関心が移り、今迄無関心だったのに、僅かな情報で身近な人に以前より寄り添おうという気持ちが芽生え思い遣りの関心が強くなる。今にして気づいた・・・

今日の弟との日中の会話でも、そんなことに気付かされた。プライベートな事なので多くを語れないが、反感と同感が交錯し、その洞察力と精神的強さにちょっぴり感服!  
 



表題の 開腹 は 回復 のつもりで書いたが決して漢字転換の間違いだけではない。
開腹 はここ2年で3回も経験したことだからね。だから訂正しないでおくんだよ。







2018/06/16 22:11:01|病身になって
横浜から友が遠来 A
ベッドに横たわると、このまま今日は1階に降りないで休んでいたい気になっていた。
10:12にKAT君が栃木に着いたが逢えるかと連絡があり、10:40に娘からも連絡が入った。
全然寝ていないつもりなのに11時にSEO君の聞きなれた声が何度も階下から聞こえてきた。
下に母は居る筈ながら耳が悪いので聞こえないらしい。ヘルパーさんも定時に帰った様だ。
ようやく 階段を登る 聴き慣れた 母の 頼りない足音。「今ね、友達が3人来てるよ」

居間に降りると KAT君、SEO君、チョーヤンの3人がテーブルに腰掛けてた。KAT君と逢うのは何年振りだろう。KAN君と2人に蔵の街栃木を案内したのはつい最近の様に思える。
椅子に座っている3人の前で「睡眠不足で今日は逢いたくなかったんだよ。悪いけど、このまま炬燵の傍に横になるよ」と断って躰を横たえた。
すると間もなく娘が遣って来た。直ぐに動けない俺と母に代わり皆にお茶をいれてもらい、友をさて置き、要件を片付けた。実は月曜に独協医大に依頼した医師の死亡診断書(2週間位掛ると言われてた)を急遽今日預かり、住民票除籍の書類と共に届けに来てくれたた。孫に掛けていた学資保険が被保険者死亡により止むを得ず解約の手続きの為に必要だった。要件を済ますと4種の必要書類を封緘し娘に託し早々に帰した。
多分1時間以上も、俺の躰の調子も然程悪くはなかったので、4人の中学同級生のおしゃべりが弾んだと思う。カッちゃんから途中で電話が入り、栃木駅で合流し4人で会食するという。
又来るぞ!と言い残して帰って行ったKAT君、横浜戸塚から態々来てくれて本当にありがとう! チョーヤンのさり気ない心遣いにも、いつもながらのSEO君と、何かと食べ物飲み物に気を遣ってくれる優しいカッちゃんにも 改めて感謝!

睡眠不足の為に満足な体調ではないと思ってたが、心は雨天に反比例して晴れ晴れした。
それと睡眠不足と勝手に決めてたが、意外に寝台に横になってた時間が長かったので、気付かずに瞬間的に寝ていた時間が有ったかもしれない。今夜は睡眠薬を呑んで早めに寝るぞ。







2018/06/16 20:01:00|病身になって
横浜から友が遠来 ➀
6月15日(金)
昨夜はギター練習場で練習曲を聞き、仲間と話が出来て、心も体もだいぶ穏やかになった。
ブログもすんなり書けたし、12時前に珍しく眠気も覚えた。日時が変わる前に2階のベッドに行くなんて、何か月も有り得なかった事だ。横になると、直に寝つけそうだったが・・・
1時半すぎるとバッチリ眼が冴えてきた。睡眠薬だけは使いたくなかった。0時からワールドカップ初戦、ロシア対サウジアラビアがNHKで放映されていた。眠気も失せ、仕方なく階下に降りて行った。雨の所為か気温も冷えてきたので炬燵のスイッチを付け、横になってTVを見続けた。眠くならない。時計を見ると5時、カーテン越しの窓の外が明るくなっていた。なんとか寝たかったが・・・   2階にあがり、ベッドに潜り込むが眠気は全くなかった。睡眠導入剤を飲んどけばよかったと後悔するが、睡眠薬の体への弊害も知ってるので、何度も体位を変えて寝ようと努めた。

何でこんなことをこまごま書こうとしているかと言えば、2日前に中学の同級生KAT君から「11日に行けなかったので、お前の調子のいい時に伺いたい」と連絡があり、気持ちだけで充分だから来なくていいと断ると、「そんなら15日に勝手に行くよ。行ってお前の調子が悪ければ、逢わなくて結構だから、それならばいいだろう」と強引に押し切られた。その言葉が嬉しかった。何が何でも体調を整え、充分に体を休め、友と気分よく逢えるように万全を期したいと、柄にもなく緊張し過ぎたのかもしれない。

寝付かれぬまま時計を見ると既に朝の8時。いたし方なくベッドに起き上がり、階下に降りて行った。取敢えず、仏壇にいつもの日課の対応。そして風呂を沸かした。お腹が冷えていたので、体を温めれば少しはお腹の不快感が消えるのではなかろうかと微かな期待・・・
湯舟に浸かり湯舟を満杯にする為に60℃の高温のお湯を蛇口から導入。湯舟にお尻をつけると尾骶骨が当たり痛いので、湯舟の淵に両足をかけ、少し体を浮かせ慕っていると、徐々に顔に汗が滲んできた。体が解され、腸の周りも少し楽になり爽快な気分。このままなら睡眠不足でも友に逢えるかもしれないと、少し気が楽になった。
シャンプーし体に石鹸を塗りたくりシャワーで流す。脇腹と胸の脇を擦ると垢がざらざらと掌に媚びり付く。足首の前後は特にそれが酷い。運動もしないのにたいして汗も掻かないのに如何して?・・・こんなに体が弱っていても細胞の新陳代謝は休みなく続くのだろうか。

悲しいというか 寂しいと言うか これも生きている 実感

かなり体が温まったので慎重に湯舟から出て、浴室内の鏡の前でバスタオルで体を拭き取る。本来見たくはない やせ細った体、手術の跡の傷跡よりも筋の通った皴の方が、くっきり見えるのが癪に障る。脱衣場の体重計に 体重よ増えろ! と祈るように乗ってみても、針は50s以下を指していて、これまた悔しいというか、いたたまれない気分に苛まれる。

風呂から上がると、母に背中の腰のあたり2枚と首筋に1枚、特製の湿布薬を張ってもらう。
暫く炬燵の傍でうつむけになり体を冷ましていると、ヘルパーさんが9:30に遣って来た。
定時に遣って来た彼女に、「上にあがります」と言葉を辞して、2階のベッドに向かった。







2018/06/14 22:06:00|ギター
栃ノ木ギター合奏団
今朝は昨日に引き続き体調は良かったが、朝食後何となく体が怠くなってきた。昨夜も刺身
2切れと親指程の柔らかいご飯がやっと口に入り、睡眠導入剤を12時前に呑んでよく眠れた筈なのに、なんとなく寝足んない感じ。この怠さは睡眠導入剤の所為なんだろうか??

午後1時に足銀投信解約の手続きに担当者ITO君が来てくれ、来週には清算完了。これで相続の為の動産不動産の整理はほぼ整い、遺言書が無くても長男に引渡可能なところまで漕ぎ着けた。

2時半にISH君SEO君が来てくれて約1時間コウノトリや、さとみさんからのLINEに写る陽子さん達の写真を話題に付合ってくれたが、疲れを感じたので早々に退散して貰う。今夜7時に長寿園の栃ノ木ギター合奏団の練習を見学する事が念頭にあったからだ。
SEO君が7時5分前に迎えに来てくれて、久々に長寿園に、その駐車場でWAK女子に遭う。二階の練習会場は前は中会議室だったが、今は大会議室に代わっていた。既に14人のメンバーが練習を開始していた。リーダーのOGIさんが、気付いて練習を一旦停め、指揮者の脇の椅子席に導いてくれた。WAK女子が加わり15人の演奏が再開。指揮者の側でギターアンサンブルの練習を聞くのは初めての体験だとこの時気付いた。体力の許す限り少しでも長い時間聴きたいと思っていたが、やはり生ギターの音色は心地よく素晴らしい。指揮者のWATさんがギター音の強弱やアクセント、僅かなスピードの変化を指摘する、その声が懐かしい思い出として甦ってきた。リーダーは、まだまだ音が揃わなくてと恐縮していたが、久しぶりに聞く生ギターの音色は何よりも心を安らかにしてくれた。
少し疲れを感じてきたが、リーダーが気を利かし早めの休憩時間を取ってくれ、ほんの束の間の時間を仲間との懇談に空けてくれ、一人一人との会話がとても身近に懐かしく感じた。
練習に差し障りの無いように、速やかに部屋を出た時、MASさんが近寄って来た。彼は病においても俺の先輩で、一時は今の我が身より細くなっていた記憶がある。言葉はいらない!ありがとう先輩!     帰りの車中では疲れどころか、いつの間にか元気が出てきた。
今更ながら一人一人に礼を言いたい! ありがとう栃ノ木ギター合奏団・・・







2018/06/13 21:46:56|癌との共存
こんなにも激変
こんな調子では、明日どうなるのかも不安になってきた。
後の始末を、遺言を・・・    慌てるばかりだった。

でも今日は昨日一昨日の絶不調な時と違って、とても体の具合が良い。特に内臓の不具合は何も感じない。勿論立ちっ放しでいる訳には行かなかいが、座ってても横になっていても、腸の周りがむかむかするような、やたらに擦りたいような、擦ってもそのままじっとしていられない気分だった。横になりたい、でも横になってもちっとも楽になれない。しかも表現し辛いが、普通に吸排する呼吸が合わず(規則的に呼吸し辛い状態)深夜3時になってもまったく寝付けなかった。30分置きにトイレに行くが小水しか出ずに、たまらず、以前に医師から処方はされていたが滅多に使わない睡眠導入剤(半年振り服用)を飲んでも、1時間近く眠れなかった。昨夜は否今朝は0時過ぎにもっと強い導入剤を飲んで休んだ。
でも頻度の激しいトイレ行を繰り返すうちに、何度か大弁も催すようになっていた。そして、10日昼前に親指の先位のコロコロした便が2個しか出なかったのに、11日には午前中に同じような便が2度、午後から夕方にかけてやや細長い便が2度、昨日も同じような便が2回と、こんなにも我が体内に、便が残っていたのかと不思議に思えるくらい少量ずつながら便が出た。実際一昨日まではやせ細ったお腹を擦ると何か異物が入っているような感じがし、そこを強く抑えると、お腹のど真ん中の動脈の波打つ音が少し痛み(強く抑えている為)を伴って指先に伝わっていた。
便秘とまではいかないが、それなりに流通していたと思っていたお腹だったが、ここ3日間で大分便通が良くなり、お腹も気分的に凹んだ感じがした。。しかし体重は変らずで、今初めて明かすが、先週末から既に50sをわっていた。

昨夜の睡眠導入剤の効果か、今朝は6時にスッキリと目が覚めた。直ぐに仏壇にお茶とお水を供えお焼香。でも8時前まで炬燵で横になっていた。
母と一緒に2/1切れのパンを食べバナナ半分とヤクルトとブルガリアヨーグルト4/1がスムースに口に滑り込んだ。そしてその後は昨日とは別人のように不思議なくらいに調子よくなっていた。

やはり食べられれば体力は回復するのだろう・・・
食べたい・・・  でも思う様に食べられない・・・それが悔しい