ヤマトタケル伝説の建鉾山
関山に続いて、建鉾山にも登ってみた。
ここは古代の祭祀跡のある伝説の山。
ヤマトタケルの東国東征の拠点になったといわれる山。
城壁でもあり、宗教的な聖地でもあったらしい。
そのエリアは広大で、栃木県中央部から阿武隈川流域までが勢力範囲であったという。
ヤマトタケルは古代の神話的な名将。
ちょっと源義経的であり、真田幸村的でもある悲劇の天才軍略家のイメージ。
あまりにも神話的とはいえ、4世紀前後の時代に、似たような人はいたのではないか、なんて想像しているけど。
遺伝子考古学という新しい学問が誕生し、当時の日本は世界でも空前の多民族が群雄割拠していたことがあきらかに。
遺跡でも、戦争とか虐殺の痕跡のまったくない平和な縄文人に反乱軍のイメージはまったくなく、紛争起こしたのは、外部から流入した異民族。
すなわち中国の流民、あるいは亡命軍、もしくはシベリア方面からの移民軍、東南アジアからの避難民、もしかしたら、ポリネシア系の海洋民族、さらには砂漠からの遊牧民やトルコ系すら存在した痕跡も。
恐ろしく様々な人種が入り乱れて乱立していて、世界でも稀な、混乱した状態だったらしい。
紀元前後からの、世界的な異常気象、政治混乱から、世界中の民族が極東に逃げてきたという。
仏教なんかも、この時期に砂漠を乗り越えて、中国に流れ込んだことが、明らかになってきているし。
たぶん、ゲルマン人の大移動をはるかにしのぐ大混乱の多民族の亡命・流浪だったのではないかと。
(余談だけど、世界から孤立して成立した日本語の謎も、このあたりに起源があるような気がして、少数民族の言語ではなく、多民族で構成された人造言語なのではないかと)
建鉾山は20分ほどで頂上にたどりつける。
眺望は完璧で、祭祀にも軍事拠点としても使えそう。
東北のエリアがすべて見渡せる感じ。
標高は403メ−トル。頂上は「都々古別神社」の奥宮。
「ツツコワケ」という不思議な名前は、稲作文化の道具の由来説から、ヤマトタケルの「盾と鉾」の武器説、さらには、ユダヤの言葉説があって、これにも古代ロマンが。
都々古別神社もまた、福島県各地に点在していて、この地域に大きな勢力があったと考えられ、いずれゆっくりと回りたいところ。
これで233座。
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