栃木の語り部  栃木語り部の会

昔むかしの話を語る、栃木の語り部。 語り伝えたい話があります。昔ばなし、伝説、言い伝え・・・学校への語りの出前は60校を超えました。児童館、育成会、公民館、作業所、グループホーム、イベントなど声が掛かればどこへでも語りに出かけています。語りながら話も集めています。これからも出会いを求て語り続けていきます・・・
 
2007/05/11 14:43:17|栃木市に伝わる話
ふうふう ぱたぱた あちち の話について
 この話は、母から幼い頃聴いた話です。その母は、大平町の出身で、村立 瑞穂小学校(今の大平東小学校)の一年生の時、(今から70年前)担任の故鈴木録郎先生(栃木市薗部町)から聴いたものです。鈴木録郎先生は、寺尾南小学校の校長先生もしておられました。 大宮南小学校の教頭先生をなさっていた時には、同校の校歌を作詞されました。
たいへん人徳があり、慕われていた先生だったことが、大宮南小のホームページに載っています。 http://www.tcn.ed.jp/~tochigi-ominami/
 
 
 私は、小学校2年生のお楽しみ会でクラスのみんなにこの話をしました。実はこの経験が私の語り部デビューだったのです。  けちんぼうの和尚さんを小坊主たちが知恵を出し合ってギャフンと言わせるという類型の話はたくさんあります。和尚様に限らず権力者をとんちでこらしめる話は聞く人が溜飲が下がる様な気がして、語り伝えられたのでしょう。
 
 
  この話では、和尚様が心を入れ替えて、少しのものでも分けるようになったと言う教訓が語りこめられているので、小学校への語りの時好んで語っています。 







2007/05/11 14:11:21|栃木市に伝わる話
ふうふう ぱたぱた あちち(大平の瑞穂小学校で聴いた話)
 むかし、ある寺に和尚さんと三人の子坊主がおりました。和尚さんは、とてもけちん坊で、檀家からのいただき物ひとり占めしていました。
 ある日、つきたてのお餅をもらった和尚さんは、すぐに自分の部屋へ持って行ってしまいました。小坊主たちは、何とかしてお餅を分けてもらおうと相談しました。そして、和尚さんに、
「和尚さん、私たちは、今日から名前を、ふうふうと、ぱたぱたと、あちちにしてください。」と頼みました。和尚さんは、首をかしげましたが承知しました。
 さて、夜になって、和尚様は餅を食べようとして、火鉢に網を乗せ炭をおこそうと、ふうふうと吹きました。すると、
「和尚様、何か御用ですか?」と、ふうふうが飛んで来ました。和尚様は、仕方なく、「いや、餅を食べさせようと思ってな。」と言って、ふうふうに餅をご馳走しました。ふうふうがいってしまうと和尚さんは、また餅を網に乗せて、ふうふうと言わないで、うちわでぱたぱたと扇ぎました。すると、
「和尚様、何か御用ですか?」と、ぱたぱたが飛んで来ました。
和尚様は、仕方なく、「いや、餅を食べさせようと思ってな。」
と言って、ぱたぱたにも餅をご馳走しました。ぱたぱたがいいてしまうと、和尚様はまた餅を網に乗せて、今度こそ小坊主にやるものかと、ふうふう吹きもせず、ぱたぱた扇ぎもせず、こんがりと焼きました。けれども、餅を取ろうとした時、思わず、
「あちち!」と言ってしまいました。すると、
「和尚様、何か御用ですか?」と、あちちが飛んで来ました。
和尚様は仕方なく「いや、餅を食べさせようと思ってな。」と言って、あちちにも餅をご馳走しました。
和尚様は、小坊主たちがおいしそうに食べる様子を見て、独り占めしていた自分が恥ずかしくなりました。
 それからというもの、和尚様は、少しのものでもみんなで分けて食べるようになり、小坊主たちといつまでも仲良く暮らしましたとさ。







2007/05/10 20:54:22|栃木市に伝わる話
たぬきばやし (栃木市箱森に伝わる話)
村人とたぬきの太鼓合戦は、ますます激しくなるばかりです。
 ところが、夜がふけて、月がいよいよ高くなった頃、たぬきばやしは、急にやんでしまいました。たぬきに勝ったぞと、村人たちはすっかり上機嫌で、鼻歌まじりに家にかえって行きました。
 次の日、予惣がさぎしょっぱらを歩いていると、はらをぶっつぁいた古だぬきが死んでいましたとさ。


  さて、さて、現在の箱森はジャスコやカワチ薬品があり、ものさびしい野原の風情は残されていません。さぎ草がたくさん生えていたさぎしょっぱらは、一体どのあたりだったのでしょうか・・・

 この話を市内の小学校で語ったら、
「たぬきは、いたずらしただけなのにかわいそうです」
「たぬきを助けてあげたいです」
という感想や手紙が寄せられました。
 
    そ・こ・で!!!
 
 平成版 さぎしょっぱらのたぬき では、
話の終わりをこう変えたものも、おまけとして語っています。

 次の日、予惣がさぎしょっぱらを歩いていると、腹の皮をぶっつぁいた古だぬきが、うんうんうなっていた。そこで、救急車でとちのき病院に運び込んで、腹の皮を縫い合わせてもらって、命拾いしたんだとさ。

 これを聞くと子ども達は、ほっとした様な表情を見せます。子どもの心の清らかさに触れ嬉しくなります。







2007/05/10 20:07:21|栃木市に伝わる話
さぎしょっぱらのたぬき・大きなきのこ (栃木市箱森に伝わる話)
 むかし、箱森にさぎ草がたくさんはえているので、さぎしょっぱらとよばれているくさっぱらがありました。
 そこには、予惣というまぬけな男が住んでいました。予惣はさぎしょっぱらに住んでいるたぬきにまでばかにされていました。 
 ある晩、たぬきは大きなきのこに化けて、予惣をおどろかそうとしました。予惣が夜中に小便に起きて小屋の外に出ると、見上げるようなきのこがはえていました。 「あっはっはっは、でっけだけでぶきっちょもんだなあ。まぬけはこうだからしょうがねえ。なりばっかりでかくても、なんにもなりゃしねえ」予惣はいつも自分が言われているように言うと、きのこの根元にしゃあしゃあと小便をしました。そして、「これがさかさにはえていたら、おらもびっくりしたんべがな。」と言うと、小屋に引っ込み、ぐうぐうねてしまいました。 
 次の晩、予惣が小便に起きると、今度はきのこがさかさになって生えていました。かさを下にして、にょきっと、くきが高く立っていたのです。予惣はそれを見ると、「なあんだ、きのこめ、おらが言ったらすぐまねしやがったな。まぬけなやろうだなあ。」と笑いながら、しゃあしゃあと、きのこのかさの中に小便をしました。
 すると、きのこは、ぶるぶるっとふるえて、すっと消えてしまいました。「やっぱし、小便じゃなあ。雨でなくっちゃ、きのこもたまんねえんだべ。」と、予惣は言ったんだとさ。







2007/05/10 18:12:46|栃木市に伝わる話
鬼子母神 (栃木市寺尾の上大久保に伝わる話)
 むかし、山奥に恐ろしい人食い女が住んでいた。人食い女は毎日、里に下りてきては、村の子どもをさらって食べていた。 
 さて、この女には百人の子どもがいたが、ある日、その中のひとりがさらわれてしまった。女はおどろき、気が違った様にさがしまわった。けれども。いくら探しても子どもはみつからなかった。
 その時女は思った。「私には百人の子どもがいるが、たったひとりでもいなくなったも心配でならない。今まで私は、何とひどいことをしてきたのだろう。子どもを失った人間たちもさぞや嘆き悲しんだことだろ。」 
 それからというもの、女は村人の子どもをさらうことをやめ、これまでとは逆に、子どもの守り神になったということだ。 女は、人を食う代わりに、ザクロの木を植えた。ざくろの実はすっぱくて人間と同じ味がするという。  
 
 栃木市寺尾の上大久保の山中に、鬼子母神のお堂がある。旧暦1月28日がお祭りで、むかしは、近郷近在から沢山の人がお参りに来てたいそうにぎわったという。  
 
 鬼子母神は、安産と子育ての神様として日本中で信仰されている。